英語学習における正しい努力とは?

少し厳しいことを書きます

「私は正しい努力をして、TOEIC の点数をあげたいのです」

と言ってグループレッスンに参加された方がいます。

TOEIC 満点の私を信頼して、来てくださった方なので

できるだけのことはしました。グループの他の方以上に

宿題のフォローをしたり(プリントを渡しているのに、「宿題ってなんだっけ?」とか)

授業に遅れたらリマインダーをしたり(他の方を待たせて)…

とにかく時間がかかりました。

しかし、シャドーイングをしましょうといえば

きよみコーチ以外の人に聞かれたくないとか、

テキストベースのクラスに対しスマホで参加して

「見えません」と言ったりして、

他の方の進捗を遅らせることがしばしばありました。

彼女の言う「正しい努力」って一体何なんだろう?

おそらく彼女は時間をかけずに TOEIC の点数をあげたいと

思っているようなのです。

しかし彼女に勉強時間を聞いても1週間に5時間とか2時間とか。

これでは「努力と言えるようなレベルにも達していないんじゃないか」…

結局彼女は受験にまでも至りませんでした。

模試の点数もあがらないので面白くなくなったのでしょう。

もともと好きではないことは続かないので好きでなかったのかもしれません。

その方については、向いたことに「正しい努力」をされるのが

良いのではないかと思いました。

一方、最初は全然できなかったけれど、また、好きでもなかったけれど

続けているうちに好きになったという方もいます。

たとえ少しずつでも努力を続ける(もちろん、努力と言えるようなもので

なくてもいいのです。ラジオ英会話を聞くとか、すごく始めやすいところから

始めるのもOK)ことが、英語を通じて異文化に触れる、新しいことを知る、

あなたの人生の幅を広げることにつながるのです。

コロナで自粛の今こそ、本当の英語力をつけませんか?

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)