オヤカタじまい 3部のうちのその2

母が施設に入る

2019年、母(当時86歳)は真夜中に昔住んでいた家の近所までタクシーで出かけ、昔の知り合いに会いに行こうとしました(結局会えませんでした)。自分が住んでいた当時と街の様子が変わっていて迷子になり、深夜も開いているコンビニの店員さんが「おばさん、こんな夜中にどうしはったん?」と心配し、警察に通報、保護されました。私は東京にいて、母は「たまたま大事に持ち歩いていた顧問税理士さんの名刺」のおかげ?で税理士さんに警察に迎えにいってもらい(市内だったので税理士さんは一時間ほどでかけつけてくれました)ました。この事件を受けてケアマネさんとも相談しましたが、「一人暮らしは無理でしょう」という結論となり、母はグループホームに入りました。

大通りに面した3階建てのビルは、ついに空き家になってしまったのです。

それ以前から、いろいろな古いものが溜まっているなあとは感じていましたが、施設に入って当初は、母が戻ってくることもあるだろう、そのためには家をスッキリさせたい、ということで片付けに着手し始めたのです。

月に一度、母を見舞う、と決め、そのついでに何十年と貯めた大量のモノを処分するための帰省生活が始まりました。室内に溢れるモノだけではなく、クローゼット、倉庫、押し入れ、天袋、引き出し、キャビネット…ありとあらゆるところから大量のモノがでてきました。

たとえば、台所の流し下などは、変色・変形したタッパーなど、今後「絶対使わないだろう」と思うようなものが多くのスペースを占めていました。作りつけのクローゼットからは私が幼稚園、小学生のときに母が着ていた衣類までとってありました。押し入れからは亡くなって30年経つ父の衣類。天袋からは何十年も前の親戚の引き出物としてもらった食器。歴代使った魔法瓶(古いのまでとってあった)。大量の食器。それらを収納する大型の食器棚。街のお弁当屋さんで買うたびに溜まる割りばし…そして、父が亡くなってから始めた趣味のものー民謡の小道具、カラオケセット、大量のカセットテープ、それぞれの趣味で使う衣装ー民謡のための浴衣類、カラオケのコンサート用の派手なドレス、フォークダンス用のフリルスカート、倉庫からは姉が亡くなった時に買った盆提灯(50年以上前)、父が亡くなってから余裕ができたお金で買い集めた高級着物類…「何一つ捨てない」暮らしの「集大成」がそこに残っていたのです。

粗大ゴミを毎月出す

2019年秋からは、母を見舞うための帰省時に次月に捨てる粗大ゴミを1階のガレージに運び出す作業を始めました。そして、それらを写真に撮り、市の粗大ゴミシステムにオンラインで入力、翌月はゴミ出し予約日に合わせて帰省し、ゴミ処理券を買って出す…を繰り返しました。コロナ禍があり、帰省もなかなか叶わない時もありましたが、母が施設に入って3年となった2022年、表通りにあるビル(本邸)を賃貸に出す決心をしました。母はそのビルの2階に住んでいたのですが、もう施設から戻ることはできないだろう(階段を上り下りする生活は無理)、と思ったからです。それならば、立地のいい場所に建つこのビルはマネタイズするべき、と考えました。

幸い1階がガレージになっている、という作りを気に入ってくれる店子さんがついて、2022年11月、ビルを明け渡すことになりました。それまで、ほぼ1人で少しずつ粗大ゴミを出してきましたが、最後はやはり大勢の友人知人の協力を得ないとどうしようもありませんでした。そして、最終的にはすべて業者さんに引き取ってもらいました。あんなに頑張ったのに、それでもトラック2台分の家具その他のモノが残っていて、親の家の片付けは本当に大事業だったのだと実感しました。

別邸のリフォーム

本邸を明け渡すにあたり、しばらく前から空室になっていた別棟の3階の部屋を自分が帰省するときの拠点として活用すべく、リフォームしていました。そして、その部屋に、私がどうしても処分できなかった、母が残した箪笥2棹半分の着物を移しました。いろいろ片付けたつもりでしたが、高級品が多かった母の洋服類の全部は捨てきれず、また、母が趣味で集めた着物は、しつけ糸がついたままの新品も大量にあり、その置き場として利用しました。

着物を売るという手段もあったのですが、母の思いがこもっていて、簡単に売ることはできませんでした。それでも、一部は着物買取業者さんに来てもらって引き取ってもらいました。正直、二束三文でしたし、着物買取業者さんは、本当は着物ではなく、「着物を持っている(高齢者の)家の貴金属と不動産が目当てだということがわかりました。

リフォームした部屋は、壁紙の色、襖などを自分で選び、自分好みにしつらえた部屋で、とても気にいっていました。しかし、東京での生活も忙しく、月に一度(1泊か2泊)ぐらいしか部屋を訪ねることができませんでした。また、1人で使うには広すぎる部屋にポツンと座っていると、話し相手もなく、なんだか寂しくなって、ついついテレビをつけて夜ふかししたり、と生活が乱れてしまうのです。それに、台所はあっても調理する気にはならず、つい外食になり、食生活までめちゃくちゃです(お昼も夜もお好み焼きとたこ焼きなんて生活をしていました)。そして、何より、部屋にいると、残した箪笥2棹半分の着物をいったいどう整理しようか、と「やらなければいけない仕事」のプレッシャーがどんどん高まってくるのです。

オヤカタじまい3部のうちのその1はこちら

オヤカタじまい3部のうちのその3はこちら

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)