母の死
2022年に本邸を賃貸に出してから1年後、2023年12月に母が亡くなりました。その時初めて長女・次女が別邸に来て泊まり、お部屋のお披露目をすることができました。三女は、それ以前に一度、夫婦で旅行した時に宿代わりに使ってくれました。
別邸は、もともと、家族が関西に旅行などした時にも活用してもらおうと思っていましたが、子育て中の家族は、それほど自由に動き回れるわけでもなく、結局、娘たちが利用したのは3年の間に一度だけという結果になりました。
高まるプレッシャー
東京にいても、母の着物をどう始末しようか、という心配が常に頭を占め、「捨てるに捨てられない」大量のモノの始末に日々苛まれることとなりました。
2025年、「自分も元気なうちに」と、いよいよ我慢できなくなり、年初に別邸を引き払う決心をしました。が、万博があることから、そのための拠点にすればいいかな、と思い、7月まで退去を引き伸ばしていました。実は、別邸の2階は1年間の期限で店子さんがついており、その店子さんの退去も7月末でしたので、同じタイミングにしたのです。
結局、「着物」の始末が決まらないことには関西に行っても万博に遊びにいく心の余裕はなく、今まで一度も行くことができていません。「母の終活」を終えないことには私自身の終活もできない…と、時には夜中に目が覚めてしまい、「あの大量の荷物どうしよう」と苛まれる日々がありました。
勝間塾ときよみハウス・シンきよみハウス
経済評論家・勝間和代さんの主宰する勝間塾に入塾したのは2011年、東日本大震災があった年です。コロナ前は、月例会が大阪で開催されていて、実家に立ち寄るついでに勝間さんを取り囲み、塾生仲間と交流をしていました。
勝間さんは、2017年ごろは麻雀や人狼などのゲームにハマっていて、塾生の間でも人狼ゲームが大ブームでした。当時、母は本邸の2階で一人暮らし。3階が丸々使われていなかったので、そこをゲーム会場にしたらどうだろうか、それならば自分が帰省したときも「遊び相手ができるし」ということから、本邸の3階(8畳、6畳、6畳にダイニングキッチン)を開放することにしました。
関西の名幹事「かんべいさん(コミュニティ名)」がいろいろ音頭をとってくださり、その部屋は「きよみハウス」と名付けられました。地下鉄の駅が5つ使える立地のよさで、大勢の塾生さんが訪問くださいました。
2018年だったか、コロナ前の月例会には、勝間さんがわざわざ立ち寄ってくださり、1日「カタン」などのゲームを楽しんでくれました。また、麻雀教室が開催されたこともあります。
母が施設に入ってからは、空き家になるのがもったいなく、また、閉めっぱなしの家は傷むので、かんべいさんに「ゲーム会などを開催して、月に一度は空気の入れ替えをしていただけますか?」とお願いし、鍵をお渡しして管理をお願いしました。
その後、コロナの間などは、あちこちの貸し会議室が閉鎖される事態となったときに、かんべいさんは、少人数で感染に気をつけながら細々とライブビューイングやゲーム会の会場として活用してくれました。
2022年に本邸を引き払った時は、「よく遊ばせてもらいました」と、大勢の塾生さんが引っ越しの手伝いをしてくれました。本当にありがたかったです。
別邸は「シンきよみハウス」と名付け、また、かんべいさんに鍵を預け、時々イベントにご利用いただきました。
和室で雑談とかゲームをする、ただ、それだけのことですが、みんな、それを「法事」と呼んでいました。勝間さんが繋げてくれたご縁でたわいもないお話をするだけなのですが、やはり雑談は情報の宝庫で、その先の人生を切り開くきっかけとなるような情報もぽろりと入ってきたりするのです。
今回、実家を引き払うにあたって、シンきよみハウスファイナル・ガレージセールと銘打って、着物も少し引き取っていただくことができました。海外との交流をお仕事にする方が浴衣をお持ち帰りになり、再度お会いしたときにはそれを上手に着てこられてびっくりしました。「着たことないんだけど」とおっしゃるのを、「最近はみなさん、youtubeみて自分で着るみたいですよ」とお伝えすると、見事に実践され、自分で着てこられたのです。
こうやって、みなさんのご厚意に支えられて母の終活がほぼできたと思います。私の手元に残した着物は、私の終活に生かすよう、いま、いろいろ考え中です。また、実家にあった大きな仏壇は処分し、小さな仏壇を買うことにしました。そこに父と母、義父母の写真を飾って日々の感謝を伝えたいと思っています。お仏壇である必要はないかもしれませんが、何かしらの形があったほうが思い出す「よすが」になるでしょう。
これからは、私自身の終活を進めながらも、今の生活をより自分好みに充実させていきたいと思っています。持ってきた着物を中心に「和部屋」を作り、そこで何らかのイベントを開催したり、こどもたちが独立して出て行った旧子供部屋も英語を教えたり、イベントをする部屋として活用し(時には麻雀も)、楽しく、人と人をつなぐ場にしていきたいと計画しています。シン・シンきよみハウスが近いうちに誕生します。人をつなぎ、情報交換をし、成長をはぐくむインキュベーターとして活用できたら、と思っています。