週3日勤務になってー穏やかな日々

65歳をすぎて

65歳をすぎたら、大抵の職員は定年のあとの嘱託期間の5年を終え、

定年退職となるのだが、当時の上長のはからいによって

パートとして雇用されることになった。

週にどれぐらい働くか、というのは自分で選べたのだが、

プライベートの時間を大事に、執筆の時間を確保するために

週3日勤務とした。

パートとして勤め始めて

勤め始めると、課内に新人が2人いた。

我が組織では、不思議なことに現場での新人教育はほとんど行われない。

中途入社だった私もあちこちに聞きまくって仕事を進めたものだ。

というわけで、私の仕事は、当初言われていたこととは全く別で

新人の現場での仕事を教えることになった。

また、課内で新しいプロジェクトが立ち上がり、

他にやる人がいないため、私が担当することになった。

明示的に指示されたわけではなく、忙しい担当者をサポートしようとして

プロジェクトで依頼する業者さん選定のための仕様書の下書きをしたのが

運の尽き。そこからメイン担当者になってしまった。

週3日勤務のはずが

仕様書を書き、チームに見てもらっても誰も反応しない。

仕方なく、ほとんど1人で契約課の担当者とうちあわせつつ

進めることになった。

一緒に仕事をしてくれると期待した職員は、

在宅勤務も多く、なぜかほとんど反応してくれなかった。

担当の業者さんとのやりとりも、新しいプロジェクトの利用者さんとの

やりとりも、そして業者さんが遅刻した時の対応も(私は不勤務の日だった)、

年末年始にかかる業者さんとのやりとりも

サービスの開始を告知する会議資料もホームページも

結局すべて1人でやることになった。

大事な仕事

私は手を抜かない。やるべき仕事は責任を持ってやる。

残念なことに、自分はそのことをきちんと周りに理解してもらう

ことができなかったようだ。

パートだから、最初から軽くみられていたのかな。

でも、大丈夫。こんなことで挫ける自分ではない。

焦らず、腐らず、変わらず目の前の仕事をきちんとこなしていきたい。

きれいごとを言っているわけではない。

オフ日の過ごし方

さて、週休4日を楽しむ自分だが、何をしているかというと…

マラソンの練習、ピアノの練習、友人との麻雀、宅建の勉強、本の執筆。

それだけですごく忙しい。

そして、家事。

現役のときには手を抜きまくっていた家事をやる。

(料理は夫がしてくれる)

というか、実家の片付けと自分の家の片付け。つまり

断捨離系の仕事だ。

「捨てる」ことは、エネルギーのいる仕事だ。エネルギーのあるうちに

いろいろなものを整理していきたい。

まとめ

時には子どもたちが孫を連れてきてくれる。

穏やかでいい日々だ。

これからもっともっと人生を充実させていこう。

NOTEにランニング練習日記を掲載

ところで、Noteに私のランニング練習日記を掲載しています。

67歳の挑戦。応援していただけるとありがたいです!

 

 

 

 

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)