抗がん剤治療をしながらの冬の練習。
絶対にスタートラインに立つ、という強い気持ちで練習を続けました。
正直ツラい時期もありました。
泣いても笑っても日がすぎていきます。
そして、ついに本番がきました!
スタートからゴールまで、レースの実際を描きます。
1. 序盤の走り
スタートの号砲が轟き、ついにレースが始まりました。
東京マラソンでは、3万人が走ります。登録(自己申告)記録を参考に、大会本部が早い順にAから10のブロックごとに分けて都庁周りに集合させます。
エリートランナー、記録の早い人たちからスタートラインに並ぶので、私のような遅いランナーがスタートラインに到達する頃には、号砲がなってから10分ほど過ぎてからです。
2014年の初マラソンのときも感動しましたが、2015年、抗がん剤を乗り越えてスタートラインを越えた時はもっと胸に迫るものがありました。
やっとここまできた。
夜明け前の練習。
寝込んだ日。
食べられなかった日。
美味しいものを目にしながら何の味も感じなかった日々。
アイスグローブの冷たさ、痛さ。
それ以上に支えてくれた仲間の暖かさ。
10キロあたりの市ヶ谷付近では、打ち合わせ通り夫と長女、そして7月に生まれて7ヶ月の孫息子君、次女が応援に着ていました。
やっと見つけて、ポケットに入れてあった「使い捨てカイロ」(いくつも入れているので)を2つ(そろそろあったかくなってきたので)渡しました(もう、いらないと思って)
2. 中盤〜応援の声
品川方面に向かい、折り返し点をすぎて走っていると、どこからか「きよみー、きよみー」と叫ぶ声が聞こえました。
どこにいるのか、姿は見えなかったのですが、後日、職場の同僚だと判明。彼は奥さんが出場していて、私が走ることは2日前にメールで知らせてあったのです。(後日、奥さんと私の「完走祝い」をしてくださいました)
振り向いて声の方向に手は振りましたが、目を合わせることはできず。
でも、再び感謝の気持ちがわき上がってきました。
寒い中、立ってランナーの姿に目をこらし、声を限りに叫んでくれる人がいる。
本当にありがたい。
マラソンをしていてつらくなってくるのは自分の場合24キロをすぎてから。
浅草で折り返し、そこから銀座に戻るまでがすごく辛いところです。
歩いてしまいたい誘惑との長い長い闘いの時間です。
30キロをすぎて、「ああ、ここから去年はもう一段気合いをいれてスピード上げることができたんだなあ」と思いながらも、今年の自分は「歩かない」ことを維持するだけで精一杯。
次々と、歩くランナーが増えてくるのもその頃です。
でも、あと8キロ行けば、仲間がいます。
幟を立てて待っている。絶対に絶対に歩かないで、たどり着くぞ。
一歩一歩足は上がらなくなってくるけど、幸い痙攣はありません。
大阪マラソンでは途中で足が痙攣し、歩くことさえつらかった。でも、今回は大丈夫。まだ走れる。
応援の仲間は、佃大橋を越えたあたりにいます。橋は太鼓型になっていて、登り坂。
このあたりで登り坂になると、多くの人が歩いてしまいます。
でも、そこは意地で走ります。
走れる練習をしてきたのだから、登り坂であろうと走れるはず。自分を信じて走ります。
そして….
いました!!幟を立てて、首を長くした仲間が。そこに、約束通り。
笑顔で手を振ります。
ありがとう。ありがとう。私、約束守ったから。みんながいたから、ここに来ました!
そして、仲間の応援のあとは職場の友人と家族と待ち合わせた深川第5中学の前を目指します。
職場の友人。赤ん坊をつれたもう1人の友人も。ありがとう、ありがとう。
そして飯田橋から電車で移動してきた夫と、今度は次女と三女。
ありがとう、ここまで来たよ。ありがとう。
3. そしてゴールへ
残り4キロ、普段の練習距離より少ない。あとは、どんなことをしてでもゴールに向かう。大丈夫。ゴールするぞ!
応援に力を得て、必死で走り続けます。
ほら、あと195メートル!!
5時間33分。
1年前より1時間近く遅いゴール。
マラソンデビューも多くの人に支えられたけど、2015年のレースはそれ以上に多くのひとに支えられたゴールでした。
コース図。2017年よりオリンピックに向けて変更