アラフォー留学 国連開発計画(UNDP)のインターンに採用された「偶然と残り福」

インターン必須のカリキュラム

1995年9月、コロンビア大学国際関係学大学院School of International and Public Affairs, Columbia Universityに入学しました。

最も頭を悩ませた課題は「インターン」をするということでした。

大学院は2年通います。

インターンは、1年目と2年目の間の夏休み中に行います。

私が入学した国際関係学大学院ではカリキュラムでインターンをしないと卒業できないことになっています。

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気づいたら就活は始まっていた

多くの学生は、1年目の半年がすぎるころからインターンの働き口を探し始めていました。

私自身はそんなに早く「就職活動」が始まるなんてまったく思いもよりませんでした。

しかも、日々の勉強で手一杯。とても「就活」どころではありません。

さらに、情報不足。そもそも友だちも少ない英語があまり話せない日本人の私。学校にいられる時間も限られていて、就活の余裕がありません。ないないづくしで無理、無理、無理と思い込んでいました。

インターン先を獲得することはほぼ絶望的…

小耳に入ってくる同級生の会話からは次々とインターン先がきまったとの話が聞こえます。

「あ、自分もインターン先さがさなきゃ」と、焦り始めます。

家事、家族の学校や職場への送り迎え以外の時間は起きている限りすべて勉強に使いました。

試験を乗り越えるだけで手一杯なのです。

就活にまで手がまわりません。

期限は迫る

しかし、刻々と夏休みは迫ってきており、いつまでもこの問題を放置できません。せっかく苦労して入った大学院、卒業できなくなるかもしれない!

危機感が募ります…

まずはウエイバー狙い

日本人学生の多くは当時、企業や官庁から派遣されてきていて学費も多くが「会社」もちでした。

そういう人たちはそもそも「働いている人たち」なので、waiver、すなわち免除になります。

そんなことも知らなかった…たまたま立ち話をした日本人留学生に聞いたのです。

さすが職場で選抜されてきた方々、私よりはるかにしっかりしていて、ほとんどの日本人同級生はすでに免除手続きを済ませていました。

なので、夏休みは旅行など、思いっきり羽根を伸ばすことに使うとか…

また、企業などを辞めて「背水の陣」で私費留学で来ている人はそもそもリサーチばっちり、早々にインターン先を決めていました。

圧倒的な出遅れ感…

 

遅まきながら、1年目の春学期の試験時期がようやく終わりかけた頃、キャリア相談室に通いはじめ、やっと就活を始めました。が、

そもそも、ネイティブでないアラフォー女子。

しかも育児があって身軽ではない、そんな私にインターン先があるのか?

インターンを何とか免除してもらおうと理由を一生懸命考えました。

キャリア相談室のカウンセラーに「自分はもう社会人としてこれまで長い間働いてきたので今更インターンをする必要はない」と訴えました。

次にできることをする

カウンセラーは「免除も考えてみますが、できるだけのことをしてみましょう」と、前向きな提案をしてくれたのです。

履歴書やカバーレターを書いてもってくるように指導されました。

履歴書の書き方についてはBarron’s How to Write Better Resumes を参考にしました。

そして、添削をしてもらったのが上の写真です。

学校に行ける日は育児との関係で限られていましたが、すでに残り少なくなっていたインターン募集先のファイルを毎日繰り、働けそうなところを必死で探しました。

履歴書を送りまくる

添削をしてもらった履歴書とカバーレターを、とにかく募集がある限り送り続けました。

数打てば、とりあえず電話がかかってくるところがありました。

たとえば「国境なき医師団」で、仕事内容は、毎日図書館に行って「寄付してくれそうな企業のリストを作る」という作業でした。

うーん、これは確かに楽だけどニューヨークでなくてもできるよね、という感じではありました。

なんとなくその話は流れてしまい、私はますます追い詰められました。

添削してもらった履歴書⬇️

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運命の求人票

すでに夏休みに入っていました。

人影もまばらな大学。キャリア相談室に出入りするのは私だけ。

たまたま求人ファイルの中で見つけた「国連開発計画UNDP」の募集

まさに応募できる最後の一枚となった求人票。

ダメもとで応募書類をだしました。

試験も終わってたまたまうちにいたある日、電話がかかってきたのです。

「インターンに来ませんか」という電話でした。

え?え?ええ〜⁇

あの履歴書で、こえをかけてもらえた!電話の向こうは男性で、チョウ・ミャンといいました。

嬉しい反面、あまりのことに焦って「いえ、でも、私、子どもがいて、早く帰宅しないといけなくて、あんまり英語もできないし…」とか、最初から言い訳モード。

ミャンさんは、「四の五の言わず、とりあえず来てみなさい。話はそれからにしましょう」と言ってくださったのです!

いざ、マンハッタン

翌日、子どもが学校に行っている間に早速マンハッタンの国連本部に向かいました。

あの、名画「アンタッチャブル」で有名になったグランドセントラルの駅を使って、ニューヨークの国連本部で働く?

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信じられない、信じられない、信じられない‼︎

確かに、今から本当に国連に就職することなど、ありえないかもしれないけれど、インターンとして働ける、かもしれない…もうそれだけで25年、夢を持ち続け、努力し続けた甲斐があるではないですか!

面接に受かる自信はなかったけれど、とにかく国連本部に向かいました。

チョウ・ミャンさんとの面接

面接のことは実はほとんど覚えていません。

会って、自分の状況を正直に伝えました。

とくに、夕方、子供たちのお迎えに間に合うように帰りたい、とダメもとで話してみたのです

ミャンさんはその事情をみとめ、あっさり採用の言葉をその場でいただいたのです!

何がおこったかわからない状態での帰り道。

採用されたからにはインターンをつとめあげるために解決すべき問題がありました。

3人の子供達の夏休みの過ごし方です。

サマーキャンプ

当時、3人の娘たちは、それぞれ小学校4年生、1年生、ナーサリー(幼稚園)が終わったばかり。

アメリカでは夏休みには子供達の多くがサマーキャンプに行きます。

サマーキャンプでは、子供達は大人の指導者のもと、少し年上のお兄さん、お姉さんたちと一緒に工作したり、運動したり、勉強したり、プールにはいったり。

普段の学校生活よりもかなり活発で自由な集団生活をします。

キャンプといっても、本当におとまりの合宿タイプのものもありましたが、かなりお金がかかります。

3人のこどもをお泊まりキャンプにいれるのは経済的に厳しい…夫と話し合い、当時住んでいたのでスカースデール市が運営するキャンプにいれることにしました。

あらためて内容を詳しく読んでみると、

子どもたちをスクールバスの待つ小学校の校庭に送ってからマンハッタンの国連本部に出勤することは時間的に間に合いそうでした。

しかし、お迎え時間に間に合うように戻ることはかなり厳しい、むしろ不可能であることがわかりました。

せっかく採用してもらった夢の職場。実現するためには誰かの協力が必要でした…

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)