思えば遠くにきたものだ…

苦手で嫌いで一生やらないこと

こどもの頃から走るのは苦手だった。

小学校の体力テストでは、50メートル9秒を切ったことがない。

もちろんリレー選手にもなれなかった。

一方、水泳は上手で速かった。

小学校の時に教えてくれる学校の先生がいたからだと

思う。まあ、でも、同じように習っていても速くない子もいたから

運動はある程度向き不向きがあるのかな。

で、私は走ることに全く向いていない。

高校、大学と卓球部に入っていたけれど、「ランニング」練習は

一番嫌いだった。なるべくやりたくない。

そんな私が50歳を迎えた時…

人生100年時代

「人生、半分まできた、残りの人生で何をしよう」

と考えた。

そして、「これまでの人生で、嫌いで、避けていたことを一つだけ

やってみよう」

それが、ランニングだった。

幸い、家の近くには、駒沢公園という大きな公園があり、

1周2キロ(正確には2140メートル)のランニングコースがあった。

そこを、少しずつ走り始めた。

夫が幸い陸上部(短距離選手)だったので、付き合って走ってくれた。

当時、私は駒沢公園トレーニングセンターで実施されている

エアロビクスクラスに熱心に通っていたので、

そのレッスンの前後に走り始めた。

1周を17分ぐらいかけて走っていた。1キロ8分ぐらいかかっている。

亀のあゆみだ…

転機は勝間塾

2011年に経済評論家勝間和代さんが主宰する勝間塾に入った。

そして、驚いたことにランニングを趣味にする人が勝間塾にはとても多かったのだ。

当時は塾の月例会の後に、「オフ会」が開催されていた。

また、イベントを立てる人も多くて、ある日、「皇居を走りませんか?」という

イベントが目に入った。

皇居は一周5キロ、それを2周するという。10キロ!

走ったことがない距離だ。

でも、「やってみたい」という好奇心が優って、思わず参加ポチしてしまった。

そして、なんと、10キロ走れてしまったのだ。それがほぼ、私のラン人生の

始まりだった。

東京マラソン当選!

その後、みんなとノリで応募した東京マラソン。

これは、2013年の秋の抽選で偶然、当たってしまった。

いや、困った。

10キロしか走ったことがない人間が42キロ?

無理だ。

そして、現れたのが、ラン仲間のひとり、「ふぉとりん」さん。

私の「初フルマラソン完走トレーニング」を

作ってくれたのだ。

そうして、初マラソンを完走してからは、勢いが止まらない。

コロナで在宅勤務が始まったのを機に走行距離はどんどん増えて、

ついに昨年は過去最高走行距離を記録。

これからは、どうなるかわからないけれど、

行けるところまで行こう、そんなふうに考えている今日この頃である。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)