義母がなくなり、時の移り変わりを実感します

義父、母に続いて…

2023年11月は義父、そして12月は母、そして2024年1月4日義母が亡くなりました。

義母はもう20年近くアルツハイマーを患っており、ここ10年ほどは寝たきりでした。

昨年の秋ぐらいから末期の肝臓がんを患い、義父の葬儀のために高知を訪れた際に

面会に行ったところ、黄疸で顔が黄色くなっていました。

もう長くはないなという感じでしたが年末年始を超えて4日まで頑張ってくれました。

義母の危篤が伝えられた時夫は駆けつけようとはしましたが、

元旦の羽田での事故の影響で高知行きの飛行機が取れず陸での移動になりました。

6時間半かかったそうです。

私は1月6日に飛行機で到着夫と合流しました。

おくりびと

葬祭会館に到着ししばらくすると納棺師さんがお見えになりました。

義母の体は黄疸で全身が真っ黄色になっていました。

でも、長い間日光にあたっていないためか、顔にはシワがなく、

穏やかな表情をしていました。

納棺師さんは、男女お一人ずつの2人で作業を行います。

故人の肌が見えるような場面では、白い掛け布団で遺族から見えないように

配慮します。

まずは、着替えです。夫が用意した、緑のスーツに着替えさせていただきます。

死後硬直が始まっていますので、かなり大変かと思いますが、ちゃんと

着せてくださいました。

その後、カミソリで顔剃りを行い、眉を整えます。

スプレーをして髪をとかし、

また、フェイスマスクで顔は保湿します。

口内の綿の交換をし、最後の化粧を施します。

ファンデをスプレーで丁寧に噴霧。チークを塗り、

眉を描きます。最後に紅をさして、完成です。

黄色かった肌は、すっかりもとの肌の色にちかくなり、

きれいな母がもどってきました。

その後、棺桶に入れます。そこまでが納棺の作業です。

棺桶を祭壇に安置してもらい、義母も一息ついたことでしょう。

葬祭会館で宿泊

前回と違い、ホテルから葬祭会館が遠いため、夫と2人、

葬祭会館で宿泊をさせてもらいました。

ちゃんと泊まれる設備・備品があり、なかなか快適です。

もちろん、布団の上げ下げは自分でしますが、

それぐらいどうということはありません。

亡くなった義母のそばにいられて、これはこれでありがたいですね。

親世代の死は…

高知の親戚宅でお夕食をごちそうになり、しばし昔話に

花を咲かせました。

義父、義母が元気だった頃、まだ、30代-40代の子育て世代だった私たち。

それぞれの子供たちを遊ばせていました。

両親がまだ現役で働いていた頃、賑やかで幸せでした。

今も、もちろん、そのおかげでつつがなく過ごしていますが、

私たちの親世代は、もうこれで全員亡くなりました。

今度は、わたしたちが自分の終活を考える時期となりました。

親世代の生き方、死に方は、今後の私たち世代の生き方、死に方への

大切な教えになったと感じました。

 

 

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)