17年勤務した職場
仕事のことは、ここではあまり書かないようにしてきた。まあ、身近な人がいろいろ関わるからね。
この年度末、その職場を去った。
定年、って自分には縁のないものだと思っていた。いや、年齢はわかっているけど、ずっと人を見送るばかりだったので、見送られる経験が本当に久しぶりだったからだ。
結婚以来、夫の転勤に帯同して、日本国内(栃木、仙台、東京)、米国には2度(ボストン、ニューヨーク)、各地を転々とした。長女が中学校に上がってからは、夫はさらに広島、熊本へ。単身赴任となった。
わたしの仕事もその度に変わる。長年付き合い、大学を卒業してすぐに結婚したが、転勤族とわかっていたので就活をしなかった。それならば、と英語を勉強し、英語を武器として仕事を続けてきた。
いろんな職場を転々とした後、2006年3月に今の職場に就職した。
ニューヨークにいる間に大学院を卒業したことも評価されて、高齢(48歳だった)での転職のわりにいい条件で迎えてくれた。
恵まれた職場だった。仕事は、主にシンポジウムやセミナー等の運営。
そんな仕事の中で、直接、お目にかかることができたノーベル賞学者は4人。
DNAの二重螺旋を発見したDr. James Watson, 「位置情報を司る脳の神経細胞の発見」のDr. Edvart Moser, iPS細胞の山中 伸弥博士(高校の後輩でもある)、利根川 進博士。
そして日本の脳研究を推進する研究室主宰者の先生方。
それぞれの研究の詳しいことはいまだにわからないけれど、自らの好奇心、探究心に従い、仮説を立て、隠れている真実を探る研究者を黒子として応援し、支える仕事は面白かった。
自分はサイエンスはできなかったけど、自分自身、あちこちでさまざまな勉強をして、仕事もいろいろ経験をして、そして、研究現場の近くで働いている。楽しかった。
仲間に恵まれた
時折自己主張の強い同僚もいたけれど、不思議とそのような人は自滅して、わたしの周りから去っていった。
自分が関わった若手研究者、そしてセンターの研究室主宰者の面々が成果を上げることを楽しみに、仕事をしてきた。
もちろん、いろいろ失敗もしたし、苦手なことも多かった。そんな時は、同僚が必ず助けてくれた。
わたし自身が常に心に留めていたことは、「わたしと一緒に働くことで、その人が幸せになるように」との願いだった。きれいごと、と思われるかもしれないが、本気だったし、今も同じだ。
お礼状
アイキャッチ画像になっているのは、卒業祝いの骨伝導イヤホン。ランニングで使って、ということらしい。ありがたい。
卒業祝いをいただいた仲間には、一人一人に個別にお礼の言葉を書いてメールした。それぞれの人との思い出を、顔を思い浮かべながら書いていたらプレゼントをもらってから最後の1人までに一週間かかってしまった。
それもまた、楽しい。
これからのこと
65歳になったので、もうお勤めを辞めてもいいかな、本も書きたいし、マラソンの練習ももっとしたい。
とはいえ、年寄り?には「きょうよう、きょういく」が必要、という言葉もある。今日の用事、今日の行くところ、という意味だが、突然フリーターになって時間に縛りのない生活をきちんとできる自信がなかった。
すでにある程度の経済的自由は得ている。シルバー人材センターに登録する準備もしている。
というわけで、勤務日をこれまでより1日減らし、気持ち新たに別部署で週3日、お仕事をさせてもらうことになった。
どの程度の貢献ができるかわからないけど、周りを幸せに、という気持ちで新たに励んでいこう。
でも、気持ちはあくまで発信者。これからもっともっと発信する人になろう、と思っている。
本を書き、勉強し、走る
とりあえず、コロナ禍も落ち着いた(?)最近は、ますます忙しい。
新しい本、「主婦が苦労しないで一億円貯めた方法」もすでに15,000字。
さて、どれぐらいの分量、書けるかな?もう少しリサーチも必要だ。
勉強は、なんと不動産関係。前から興味あった、ということと
いくつかの不動産を持っているので、就活に向けてその始末を
考えたいと思っている。
そして、何より達成したいのはマラソンのサブ4。一昨年、そして昨シーズンは
振るわなかった。加齢に打ち勝つのはなかなか難しい、と正直感じている。
でも、生きている限り、新しい目標に向けて努力は続けたい。
そんなことを考えている2024年4月である。