湯の町飯坂・茂庭っ湖マラソン参加の記 景色抜群 猿も応援(笑笑)

1. シーズン最初のレースを振り返る

2017-2018年シーズン最初のレースは福島県の茂庭っ湖マラソン。 

コースは、スタートしたらまず街の方まで少し足を伸ばし、

折り返してスタート地点の公園に戻る、

そして公園を通り越し、12キロ地点から1.7キロで

100メートルをダムまで一気に登る坂へ。

そして東西に長く伸びるダム湖を、ほぼ東端から西の端まで2回折り返します。

2回折り返して湖の東の端に戻ると、今度は100メートルを1.5キロで

駆け下りてゴールのあるスタート地点の公園に戻る、という

最初と終わりに激しいアップダウンがある上り苦手な私には苦手なコースです。

ところが今回、人生で初めて陸上競技で入賞する、という栄誉に恵まれました!
 54歳でマラソン初完走してから入賞なんて、全く縁がなかったのに。
この大会は、年齢別にグループ分けしているので、
実は50歳から59歳の私のグループはわずか15人の出走。
上位6位までが、りんご、新米、きのこセットなどの賞品をもらえます。1位は2品。
また、月桂冠をつけて記念写真撮影をしてくれます。
6位で4時間52分23秒。
2016年3月の名古屋ウィメンズ以来の4時間台。
グロスタイムなので、ネットタイムだともう少し速いはず。
コースが難しかったので、まずまず満足のいくレースでした。
さて、レースを振り返りましょう。
全体を通すので長いですが、読み飛ばしてくださいね。
来年の参加を考えている方への参考にもなるようにしつこく書いてますので。

2. 飯坂温泉入りからスタートまで

 私は前泊して旅館に泊まりました。
早めに着いたので、共同浴場の1つ、鯖湖湯に入りました。
入浴券200円。
自販機で券を買い、番台におきます。
この浴場では、着替え場から素通しで(扉がない)、
数段下がったところに浴槽と洗い場がありますがカランはありません。
飯坂温泉のお湯は47度ぐらいあってかなり熱め。
そのまま入れないので、洗面器にお水を入れ、
自分が入る場所に水を入れて、その場に入ります。
皮膚が熱で赤くなるほどですが、お風呂後はいつまでも温かい。
飯坂温泉には、このような共同浴場が10軒もあり、レース後のお風呂も楽しみです。
宿は素泊まりにしていたのですが、
お店がほとんど開いていないので夕食に困りました。
男性なら居酒屋ですかね。
素泊まりにしたのは、宿の朝食が7時始まりだったからです。
ちょっとギリギリすぎるので。
結局、ラーメン・餃子の晩御飯。
まあ、カーボ・ローディングしました、という感じ。
しっかりカロリーはとりました。
駅前にファミマがあるので、そこでおにぎり2個、
バナナ、どら焼きを買って帰りました。朝ごはん用です。
支度はこんな感じ。
 夜は9時過ぎに寝て、朝は5時半起き。
支度しながら、バナナ、おにぎりを食べました。6時半に旅館の方が
梅干しとお茶を持って来てくれました。どら焼きはレース直前のおやつにしました。
7時45分のシャトルバスに乗るために飯坂温泉駅に向かいます。
シャトルバスは申し込み時に事前予約が必要です。
旅館のご主人が出がけに
「なかなか苛酷なコースなんですよ。登りがあるし、
トンネルをくぐらなきゃいけないし。最後の方になると、
猿しか応援がいない、孤独とのために闘いなんですよね…」
と、しっかり脅されて出かけました。
駅までの道で他の参加者に会い、この大会3回目の参加、
とか複数回参加している人の話を聞くことができました。
いい大会でなければ何度も参加しませんので、
コースは厳しいだろうけど、参加者満足度が高い大会なんだろうなと
一安心しました。
さて、バスは30分ほどで大会会場の
「広瀬公園」(もにわの湯という日帰り浴場があります)に到着します。
到着後、すぐにパラパラと雨が降って来ました。
風もあり、寒くなりました。
天気予報では8度。風が吹いてもう少し寒かったかも。
100円ショップで購入していた雨合羽をはおり、
どら焼きを食べてから女子更衣室として用意された大型観光バスに乗り込み
(暖房をつけてくれていたのでとてもありがたかったです)、
ジャージの上下を脱いで、
使い捨て懐炉をランニングパンツの両ポケットに入れました。
寒がりなので、寒さ対策はかなり慎重です。
荷物を荷物預かりにお願いして、開会式を見て、スタートラインに立ちます。
こちらスタート地点
9時30分スタート。
この大会は、グロスタイムでの計測で、ネットタイムはありません。
2時間台目標の人を先頭列に、あと、目標時間が遅い人が後ろに並びます。
 スタートの号砲がなる直前ぐらいまで雲が厚かったですが、徐々に晴れて来ました。ほっ。

3.レース前半 スタートからハーフまで

スタートして5キロの折り返しまでは細かいアップダウンのあるコース。
レースが始まってしばらくしてから雨合羽をぬいだので、捨て場に困りました。
応援の人はたくさんいますが、ゴミになってしまう合羽を受け取ってくれる人はいません。
結局5キロの給水まで持って走りました。
5キロの折り返しをすぎ、10キロまでは順調。
男性陣に引っ張られてややオーバーペースな感じだったので自重しました。
10キロを超え、12キロから1.7キロで100メートルを登る上り坂になります。
ここは無理せずとにかく体力を消耗しないように我慢の走りです。
救水は、ほぼ5キロずつ。水、スポーツドリンク、
そして15キロぐらいからバナナなどの給食があります。
私は全部の給水所でスポーツドリンク、ほぼ全ての給食所でバナナを食べました。
マラソンは「食べるスポーツ」、少しずつ補給しつつ走ります。
一旦、急な坂が終わると比較的小さなアップダウンなのですが、
次の敵は「向かい風」でした。
帽子が飛んでいくかもしれないぐらいの風。前に進んでいない感覚。
ウインドブレーカを腰巻きにしていたので寒くなったらもう一度着るつもりでしたが、
そこまでは冷風にならなかったのが救いです。
上り坂を登りきった後は、まさに茂庭っ湖を眺めながら走ります。絶景です。
 第2折り返しが18.7キロ地点。湖のかなり西の端地点になります。
ずっと向かい風たったので折り返すと追い風、のはずですが、
期待したほどには背中を押してくれませんでした。
ハーフを過ぎ、第3折り返しに向かいます。
湖の東の端、大きな橋がかかっていて、そこの風は横風。これまた、つらい。

4.レース中盤 ハーフ過ぎから次の折り返し(32キロ)まで

 再び、湖の東の端から西の端まで、向かい風の中を走ります。
この辺りがいちばんつらいところです。
2つあるトンネルの中を走ります。行って帰って、折り返し点へ、そしてもう一度行って帰ります。
折り返し前は向かい風がトンネルの中に容赦なく吹き込みます。
風はきついし、ゴールは先だし。でも、ここでめげない気持ちが大事。
30キロ地点では、持参したエネルギーゼリーを一気に食べました。
あと10キロのエネルギーを蓄えるためです。
このあたりでは、ただひたすら無心で走ります。

5. 32キロの折り返しを過ぎてあと10キロ!

このあたりになると、やはり疲れが出てスピードが出ません。
キロ7分ぐらいで走ってしまいます。もう、追い風のはずなのに。
それでも、32キロすぎるともう、普段走っているわずか10キロ、という距離。
絶対走りきれる、と自分に言い聞かせます。
足は上がっていませんが。
本当はここからギヤアップする走りでないといけないんですよね。
40キロをすぎると、1.5キロで100メートルを一気に下ります。
私としては、この下りで膝を痛めたくはないので(下りで痛める人が多い)、
かえって慎重に走ります。
そして、ゴール!
ゴールテープを用意して待っていてくれました!

6.ゴール後

完走タオルをかけてもらい、スポーツドリンクをいただきます。
その間に、記録証が印刷されます。
記録証をもらう時に、「6位で入賞なので、賞品もらって行ってね」と告げられました!
アンケートに記入し、キノコ汁引換券をもらい、抽選。りんご8個をもらえました!ラッキー
そして、次に入賞賞品の選択。
りんご、お米、きのこセット、入賞盾の4択です。
そしてアンケートにこたえた引き換えにいただいたキノコ汁をいただきます。
うんまい!!
 りんごは当てたので、新米5キロを宅急便で送ってもらうことに。ヤッター!

7.まとめ

さて、旅館のご主人が言っていた「猿の応援隊」はいたか? という話ですが、
行きのシャトルバスに乗っている時に、猿の姿を見かけました。
お墓のほうから出てきて、山の方に。お供えでも食べてきたのでしょうか?
残念ながら、レース中、応援の猿はいませんでした。人が多過ぎたのでしょうね。
今回のレース、記録は大したことなかったですが、難コースを走りきった満足感があります。
これも、「マラソン完走クラブ」や他のクラブできちんとした指導者に率いられて
練習をしたおかげだと思っています。
10月22日、台風の中のインターバル走。右端が私です。
いずれ限界は来るかもしれない。でも、まだまだ努力は実を結ぶと信じています。
次の「間寛平マラソン(3月4日)@大阪」ではもっといい記録がでるよう頑張ります。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)