介護日誌 優しくできない自分を嫌悪する

介護の愚痴です。お耳汚しだと思います。

でも同じような苦しみをもつひともいると思いますので、敢えて毒を吐きます。

人間誰しも

年をとれば弱る。

体力も知力も弱る。

母は昔から依存心の強いひとだったけど、

80を超えてからはさらにひどくなった。

こんなになる前、今の私の年齢の頃に「やれば」できるはずだった祖父母(父の両親)の遺した家財道具一式。

父が亡くなったのが母が58歳のとき。自分の時間はたっぷりあったはずなのに。

タンス、ながもち、衣類…

40年ぐらい実家の倉庫に入れっぱなし。

廃業した両親の商売道具。廃業して20年以上。そのまま。

実家の自治体に仕事の合間に電話し、産廃業者を紹介してもらい、

クレーンを使って機械を処分してもらった。

家財道具は別の業者さんに処分を依頼した。

仕事を休んで、母の依頼に応じて何もかも手配した。

母は60代、70代を父の遺した遺産で謳歌した。

ダンス、カラオケ、日本舞踊。毎日を習い事で忙しくすごした。

耳が悪くなってから全部引退し、引きこもった。

介護保険の手配をした。ずっと家で暮らしたいというので、その環境を維持するために。

何もしないからどんどん衰えていく。

「世間話したいねん」というけれど、過去の繰り言、現在の泣き言、同じ話の繰り返し。

耳が遠いから補聴器をつけて欲しいのに「痛いから」といって補聴器はつけず、私に大声を出させる。

で、こちらはつい怒る。

母は「昔は優しかったのに」と言う。

余計、頭にくる。

優しくさせてくれないのはどっちだ…と。

その後、

優しくできない、おおらかに受け止められない自分を

1番責めているのは自分。

こんなひと、多いのではないだろうか?

家族が「呆けた」り「弱ったり」することを

受容できないのだ。

で、後悔して今日も連絡をする。

今日はSkype。顔をみて優しい言葉をかけることができる。

離れているから。

Skypeを使うと、母のほうで音量を大きくできるので、

私は普通の声で話せる。なので余裕ができる。

一緒にいると「何もできない」ぐらい疲れるのだ。

母は依存心が強いので「いつも一緒に」いてほしがるけど、

そばにいるのはなかなか難しい。

とはいえ、まだ離れていても暮らせるのだから

そのことはおおいに感謝している。

こうやって、

感情は大きく右に左にあるいは上に下に

揺り動くのだ。

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)