始まる片付け
ついに義父宅も「オヤカタ」(親の家の片付け)が始まる。
まずは、捨てやすい衣類。夫が次から次へと処分していく。
着道楽だったから、服は山ほどある。
私は、間違って捨ててはいけないものを探す
(宝飾類など)。
困るのは、私が「見る目」をもたないこと。
ガラス玉も宝石も区別がつかない。
実際、私自身は、もっていたくない。
つけていくような場所もないもの。
片付けに熱中していると、斎場から電話。
お花がたくさん届きすぎて、配置に苦労しているとか。
斎場に向かう。
人の数より…
なるほど、確かに参列者は3人だけだけど、
高齢・病気・赤ん坊がいる(私たちの娘など)など、
来れない人の分の花がいっぱい。
小さなお部屋に白い花がたくさん、たくさん並ぶ。
お義父さん、賑やかになってよかったね。
遺影は、1995年、当時私たちがNYに駐在していた頃に
両親が揃って訪ね、ナイアガラの滝に観光した時の写真。
若かったね…そして、一緒に楽しんだね。
末摘花の屋敷
貴重品探しは、あまり目ぼしいものも見つからなかったので
一旦中断。
ほかにもいっぱいすべきことがある。
高知の田舎の家だから、庭がある。
誰も手入れしなくなると、雑草が生える。
夫の背ほどに雑草が生い茂っている。
それを草刈機と剪定鋏でウィーン、ザクザクと
刈り取っていく。
いやー、大変な作業だ。
かなり集中してやったけれど、お庭の3分の1ぐらいしか
できなかった。
源氏物語の、困窮したお姫様「末摘花」のお屋敷も
こんなんだったのだろうかと思いを馳せる。
次回、草刈りをするのは、おそらく義母のお葬式のとき。
心残りだけれど、夕方からはお通夜。
支度もあるし、午後2時までかなり汗水たらしたけれど、
次の機会に作業を先延ばしすることにする。
とはいえ、コツはつかんだので、次回は倍速でやってやろう。
本当は、こんなになる前に、私たちが手入れしなければいけなかったのだろうけれど
(夫は年に一度は、シルバー人材センターに依頼していたが、
手配がなかなか難しくー夫が在宅していなければならない、とか
数ヶ月前から予約するとか…)、結局、放置になってしまっていたのだ。
私自身も実母のことで精一杯だったし…
通夜
草刈りでたくさん汗をかいたので、
ホテルに戻り、シャワー。
公共交通機関が全くない地域なのでホテル、
斎場、その他の目的地への移動はすべてタクシー。
何度も頼む。こちらにきて、毎日1万円は使っていると
思う。それでも、電話すると比較的すぐきてくれるのは
ありがたい。また、何度も移動するから身体は楽だ。
シャワーをすませ、喪服に着替える。
私の喪服は、着物の喪服をワンピースにリフォームしたものだ。
両親が私が嫁ぐときに、喪服を3着用意してくれた。
夏用に、絽の喪服、紗の喪服、そして合いの喪服。
一度も使ったことがない。父の葬儀にだって、着物を着ている
余裕はなかった。それで、仕立てをしている友人にワンピースに
リフォームを依頼。初めての使用だ。
40年、私はその生地をもっていたことになる。
告別式
夕方5時より告別式。
お参りするのは3名のみ。夫、私、そして夫の従兄弟のご主人。
この方は、義父が亡くなった夜の警察による現場検証にも
立ち会ってくれた。
この1週間、ほとんど毎日義父のために時間を相当費やしている。
(高知の大手企業の会長さんである)
ありがたいことで、感謝の念に耐えない。
告別式は浄土真宗で。住職に来ていただき、
お経を読んでいただく。
お焼香も3人だけ。簡単に閉式を迎えたお通夜。
その後は、親戚の経営するレストランへ。
と、思えば夕食 ラーメン