告別式
告別式は11時から。
3人だけの参列者(夫と私を含む)だが、
供花をたくさん送っていただき、
美しい式となった。
住職さんのお経も長くなく短くもなく、40分ほどで
終わった。
3人で義父の体を供花の白い花で囲んだ。
そして、棺桶が閉じられた。
火葬
火葬は2時間ほど。
親戚の車に乗せてもらい、お昼を済ませている間に
義父は煙となった。
夫と、親戚と3人で骨を拾う。
骨壷はいっぱいいっぱいになるものだね。
サクサクと潰してもらい、骨を詰め込む。
残酷な感じもするが、土葬よりいいかなあと感じてしまう。
お義父さん、本当にお疲れ様だったね。
家の片付け
さて、夕食まで済ませてその後、義父母の家に向かう。
義父の、携帯と、年会費だけ払っていて使っていなかった
ダイナースクラブとJAFの会員カードを探す。
しっかり解約しないと。
あと、ほかに重要書類を置いていないかの確認。
サブスク契約以外は、あまりややこしい取引はなさそうだ。
それもほぼ解決。綺麗な後始末。
とはいえ、家の中の大量のモノ、ほこりはこれからの課題だ。
明日には東京に戻る。できるだけ片付けたかったけれど、
時間切れだ。
わずか4日の滞在だったけれど、いろいろ盛りだくさんだった。
最後まで在宅していた理由
義父は、亡くなる1週間前に義母に会いに行くことができた。
1週間前、義母に「黄疸がでている」との病院からの電話を受けた夫が
高知に来て、足元がふらつく義父を、義母が入院している病院に
連れて行った。
夫が高知に着く頃には、義母の容体が安定したのだが、
夫が、義父に「せっかくだからおふくろに会いに行こう」と
義父を誘うと、
「え、雅人、お前、千枝子の居場所知っているのか?」と
驚いたそうだ。
「え、おふくろを入院させたのはあなたでしょう?」と聞くと、
「千枝子は、僕と喧嘩して、家を飛び出したのだ。それから
いなくなって、僕は長い間さがしていたのだ」と答えたそうだ。
義母は若年性アルツハイマーを患い、義父が長い間
介護をしていた。
しかし、義父が心臓発作をおこしたあと、義母は施設介護となった。
長い間、義父は毎月欠かさず見舞いに行っていたが、足腰が弱って
だんだん見舞いに行けなくなったのだ。
そして自分自身も介護される身となった。
義母の不在、という事実はいつの間にか義父のなかで
「物語(妄想)」になってしまっていたのだろう。
そして、「千枝子が帰ってくる家」を離れるわけにはいかない、と
自分自身は施設に入ることを頑として受け入れなかったのか。
もちろん、自宅で「好きなだけテレビを見て、好きなときに起き、
好きなときに寝、好きなときに食べる」という生活を変えたくなかったと
いう気持ちが強かったのだとは思うけれど、
ひたすら妻の帰りを待っていた…そんなふうに思うと義父の健気さが
愛おしく思えてくるのである。