写真は、長谷川式認知症スケールで出題される、5つの互いに関係がない品物、「鍵、鉛筆(ペン)、時計、歯ブラシ、スプーン」を実写してみました。
難聴と幻聴
母は80歳をすぎた頃から老人性難聴で困っていましたが、
ここ数年は「カラオケが聞こえる」と幻聴の症状が出てきました。
最近では「女の人が耳元でしゃべるねん」と言います。
一緒にいる時など、「聞こえへん?」と聞きます。
また、隣の人に聞かれている、とか被害妄想のようなことも言うようになりました。
さすがに気持ち悪く、帰省して病院(精神科・神経科)に連れて行きました。
まずは認知症の状態を見るために長谷川式認知症スケールでいくつか質問されましたが、
そもそも先生の声が聞こえない。
隣の私が通訳するようになり、あまり正確な認知症の程度はわかりませんでしたが、
1年前の3月に受診したときからあまり酷くはなっていないように感じました。
(今回は得点は出ませんでしたが)
結局幻聴の症状を「ましにする」という方針で、投薬治療で経過観察となりました。
そして、2週間後に再度薬の効き目を確かめるために再訪することになりました。
結局、幻視がないため、心配していた「レビー小体型認知症」かどうかの診断は出ませんでした。
いただいたお薬の効能は、
「脳内の神経伝達物質(ドパミン、セロトニンなど)のバランスを整えることにより、
強い不安や緊張感、意欲の低下などの症状をやわらげます。」
と書いてありました。
このようなお薬を処方される、と言うことは、「快の感情」が低下しているのでしょうか。
そういえば、私が電話すると最近では同じ「愚痴と泣き言」ばかり。
お薬の助けを借りてでも、少しでも「幸福感」が上がるといいのですが…
終の住処の話
母の幻聴が酷くなったと感じた数週間前からケアマネージャーさんにメールを出して
「もう一人暮らしはダメだろうから、どこかいい施設をご紹介ください」という旨の連絡をしていました。
帰省すると、早速会いにきてくださり、色々相談することができました。
サービス付き高齢者住宅がいいか、あるいはグループホームがいいかなど、色々話をし、
やはりおしゃべりが好きな母にはグループホームがいいだろうということに。
次に、現在住んでいる大阪がいいか、東京の私のそばにくるか、母に聞いてみました。
以前は「絶対大阪を離れない」と言っていたものです。
しかし、体も色々不自由になってきたうえに、
「周りに自分の話し相手になる高齢者がいない」という孤独が母を蝕んでいるように思います。
母が「大阪縛り」を外したことで、少し私も楽になってきました。
自分の家の近くで母の終の住処が見つかれば、と思っています。
これからしばらく時間をかけて探します。
どれぐらいの時間がかけられるか
「上に時間をかけて探す」と書きましたが、それほど猶予があるとは思えないし、
事態が急変するということもあるかもしれません。
ただ、今回の訪問で、「長谷川式認知症スケール」の結果が
昨年の3月の初診時からそれほどには悪化していなかったこと、
そして
まだまだ
- 「お金への執着」
- 「短期記憶の維持」
- 「食べ物への執着」
がある、ということが見て取れました。
例えば、病院帰りに母と私の「お昼ご飯用」に、と
「うなぎ」と「カニ」を買って帰りましたが(どちらも大好物)、
帰宅後は早速カニを解体してかにみそを食べ、
さらに「うなぎ」を自分で温めて
美味しそうに食べていました。
また、私が忘れていたうなぎとカニの値段(2,300円と900円)もしっかり覚えており、
「もう少し(一年ぐらい?)だいじょうぶだな」と感じた次第です。
老いの過ごし方は人生の集大成
母は、色々な決断を人に任せて流されるままに生きてきた、ように思います。
「自分で決めてこなかったからあかんねん」と言っていました。
テレビ以外の楽しみもなく、テレビ以外の情報源を持たず、
ついには友人も誰もいなくなり…
かわいそうだなあ、と思いつつもやはりどうしてあげることもできません。
いずれ行く道、とは思いつつも同じ道は歩みたくない、
人生の難しさを目の前で見せてくれている、そう思って向き合っています。