【遠距離介護】母が警察に保護されましたーその後の経過 ショートステイからグループホームへ

警察の保護から1週間…

8月3日に母が東住吉区の警察に保護されてから1週間経ちました。

当日のうちにショートステイに入った母は、「ご飯が口に合わない」とか言いながらも

徐々に穏やかな暮らしに慣れたようです。

家に帰りたいとは言わず、「自分でご飯とかできる?」と聞くと「できない」と応えます。

施設への抵抗はあまり見られず、むしろ1人の家に戻ることはもうできないと諦めた様子です。

ショートステイ先では認知症が母よりも進んだ方が多いため、

「話し相手がいない」と文句をいいながらも、

施設の職員さんはみな優しく接してくださるため、居心地は悪くなさそうです。

ただし、ショートステイには、母の介護度だと2週間が限度。あくまで緊急避難的な対応です。

ケアマネージャーのTさんが、私が東京で順番待ちをしている、

家から数分の施設と同じ系列のグループホームの一軒が大阪にもあり、

新設でまだ空きがあるとのことで、紹介してくださり、そちらを頼りにすることにしました。

グループホーム入所への手続きを開始する

グループホームという、認知症高齢者を「できることはできる」状態で介護してくれる施設です。

とはいえ、「できること」に限りがあるため、どれぐらいのことをさせてくれるか、不安はあります。

例えば、食器洗いなどは洗い残しがあったり、

食器を割ってしまう恐れもあるという理由でできないようです。

しかし、洗濯物たたみのような仕事ならできそうなので、そういったことはさせてもらえます。

先々のことは色々考えてはいたものの、突然起こったことについては

なかなか冷静に考えられません。

が、なんとか1つ1つ解決していくしかありません。

紹介していただいたホームは、現時点で他に選択肢はない、

という状態なのでその施設を頼ることに決めました。

まず、グループホームに入れていただくには「認知症」の「証明」が必要なため、

昨年からお世話になっている精神科の先生の「診療情報提供書」をもらわないといけない、と

言われました。

再びの大阪

警察の呼び出しから約1週間たった8月9日(金)、仕事が終わって大阪に向かいます。

10日(土)は午前中に精神科に行かないといけません。

ショートステイ先の母のもとを訪れると、

前の週よりさらに体力が低下しており、弱っている様子でした。

しかし、ホームに入るためには精神科の診療情報提供書が必要です。

しんどそうなところを無理に連れ出し、精神科の医院の後、

いつも楽しみにしていた大阪心斎橋の老舗洋食屋さんの明治軒に連れて行ったのですが…

いつも大好きな「ハイライ」(ハッシュドビーフ:ハヤシライス)ですら、

ほとんど食べることができませんでした。

その前の3日間は、母にとってもなかなかハードな生活で、水曜日に精神科、木曜日に外科、

金曜日に歯医者の予約が入っていたため、

ケアマネージャーさんとヘルパーさんの手を借りてショートステイ先から通院していたのです。

暑さもあって、タクシー移動でも病院通いは辛かったと思います。

その上、土曜日に戻ってきた私がまた暑い中を連れ出したので、さらに疲れたでしょう。

食事もそこそこに2人でタクシーで自宅に戻り、一旦休んだ後、

今度はグループホームに見学および申し込みに行きました。

グループホームを訪問するも…

午後3時の待ち合わせに間に合うように出かけたのですが、母は、見学どころか

椅子に座っていられず、わたしの膝枕で横になってしまいました。

あちこち引っ張り回されて、それでも自分の運命を私に委ねるしかなく、

疲れ切ってしまったのですね。

もう(施設に)帰りたい、と言い始めたのですが、ちょうど淀川の花火大会の日でタクシーがつかまらず、

施設の方と話が終わったあとも何十分も部屋で待っていました。

グループホームの職員さんがどれだけ電話してもタクシーはつかまらず、

たまたま夜勤明けの職員さんが別用で車できていたのをつかまえて、

車で送ってもらえたのは本当にありがたいことでした。

境界確認の打ち合わせ

翌日は、朝は気分転換にランニング、そして午前中に実家の片付けなどをし、

母の被害妄想の一番の原因となった隣の土地のオーナーと、

測量士さんとの境界確定の実地検分がありました。(母は隣の新築中の建物に自分の土地を

削られるのではないかと心配していたのです。そして、実際そうなる可能性がありました)

親切な測量士さんと、高校の後輩の弁護士さんも応援に来てくれて、

相手側の落ち度をはっきりしてもらい、越境した部分については改善をしていただけるよう要望し、

始末書の作成を依頼しました(先方が誠実に守って頂いているか、まだまだ油断はできないですが)。

実地検分を終え、今後の方針を決めました。弁護士さんの後ろ盾もあり、

無事解決に向かいそうです。

午後、再び母の元を訪れ、そのことを報告すると、母はとても安心した様子で

手を取り合ってよかったよかったと喜び合いました。

もっと早くきちんとしておけば、母も心労が重ならなかったかもしれない、と

断腸の思いでした。

そして、母の安心した様子を見てその日は東京に戻りました。

母を施設においていくのは後ろ髪をひかれる思いでしたが連れて帰ることもできず、

ただ呆然と新幹線に乗って帰りました。

品川駅には、「荷物持ってあげる」と、三女が迎えにきてくれていました。

レビー小体型認知症

母はレビー小体型認知症といって、幻視や幻聴が特徴的な症状です。

それを治してあげることはとてもできず、

介護に従事する方々の手を借りないとまさに共倒れになるしかありません。

お金の問題もありますが、私の人生もまだまだこれからも働かないと

いままで取り組んできたことがすべて無駄になります。

自分を活かし、できる限りにおいて母に尽くし、折り合いをつけて生きていくしかない…

そう思ってホームの話も進めることにしました。

東京に戻って平日のうちにグループホームに連絡、電話で施設長の方とお話をしました。

前回、施設長にはお会いできず、診療情報提供書を持って行っただけで終わっていたのです。

グループホームに入るためにはホームの審査に「合格」する必要があります。

それは、グループホームでやっていける人かどうか、面談で決めるそうです。

施設長の方はショートステイ先に母を訪問、たまたま母と同郷だったことから意気投合し、

社会性にも問題がないと判断していただき、受け入れを承諾してくれました。

ここで最後の難関がありました。

グループホームに入るには健康診断で胸部レントゲン検査(結核検査)、

心電図、尿検査の結果が必要なのです。

あいにく主治医もお盆休み、他のクリニックもお盆休みに入っているところが多く、

万事休すと思われましたが…

幸い、母が7月11日に骨折した時に行った病院は総合病院で設備も充実しており、

しかも内科があることを思い出しました。

電話をかけると「お盆休みはないですよ」との返事。

診察券もあるし、全く馴染みがない病院でもない。しかも、実家に近い。

母のショートステイは最大で8月23日まで、

2週間をすぎると介護保険ではカバーされず自費対応になります。

今後どれぐらい費用がかかるかわからない状態で、すこしでもお金は取り置きたい気持ちもあり、

2週間の期限の金曜日あるいは週末のうちに母を引っ越しさせたいと思いました。

今度は、8月15日木曜日、仕事後大阪に向かいました。3週連続の東京大阪往復となります。

台風の影響もあり、東海道・山陽新幹線は間引き運転をしていましたが、

最近はかならず新大阪発、新大阪止まりの新幹線を選んでいるため、あまり不安はありませんでした。

健康診断も四苦八苦

金曜日朝、母を健康診断に連れていくためショートステイ先に向かいました。

母は「訓練」と称して廊下を散歩していたのですが私が「K病院に行こう」と言っても

「もうしんどいから(病院には)いかん(いかない)」と言い放ちます。

「ここには2週間しかいられないんだよ。家に帰って1人でやっていける?」と

なんとか説得して母を連れ出し、レントゲン、心電図、そして尿検査を無事終えました。

尿検査はなかなか大変で、やはり普段水分が不足しがちだからか、なかなかでません。

麦茶のペットボトルを半分ほどすこしずつ時間をかけて飲んでもらい、

約1時間半ぐらいの格闘の結果、ほんの少しの採尿ができました。

真面目な母が私の「期待」に応えようと必死で何度もトイレに行き、

頑張ってくれたのはありがたいことでした。母なりに私に迷惑をかけてはいけない、と考えているのです。

ショートステイに入るときは、尿もれのための小さなパッドをつけて普通に下着を履いていた母が、

紙おむつを身につけていたのはショックでしたが、

母が「漏れる」よりもそちらを選択しているのは仕方ないことだとも思いました。

 

知り合いで、オムツが嫌だといってお母さんが介護を拒否、

自殺してしまった話を聞いています。

それぞれの方のプライドや感じ方の問題だとは思いますが、

私の母が比較的うけいれてくれているのはありがたいことです。

母親に自死された知り合いの方の気持ちは私などの想像を絶するものがあります。

 

母を病院に連れて行き、無事良好な健康診断結果(先週の血液検査の結果も、尿検査、心電図、

胸部レントゲンすべて異常なし)を得てショートステイ先に戻り、母を休ませました。

ちょっと無理をさせたけれど、お昼ご飯はよく食べられたみたいです。

グループホームとの契約を交わす

しばしコーヒー1杯で休憩した後、私はグループホームに向かいました。

母と一緒の時はタクシーを使いますが、幸い地下鉄で行ける場所にあるので

1人の時は地下鉄を使います。

 

グループホームとの契約は、多くの書面を交わすため、全部の説明に一時間半かかりました。

ホームでは個室が提供されますが、こちらは要するにワンルームの賃貸住宅です。

 

介護に関する様々な説明、なかには「緊急やむを得ない場合の身体拘束」に関わる事項、そして、

延命治療についての同意書もあり、母の終末がすこしずつ近づいていることをひしひしと感じ、

切ない気持ちになりました。

 

たくさんの書類に署名・捺印し、これしかなかったのか、これしかないから前に進むしかないのだと、

1つ1つ機械的に、ほとんど心を押し殺して進めたように思います。

もちろん、グループホームで他の居住者さんとも仲良くして、

少しでも心地よく過ごせるに越したことはないですし、

とにかく職員さんたちが慣れた対応をしてしてくださいますので

私がたとえ東京に連れてきたとしても、

昼間1人でいて、それこそ知らない土地で迷子になるよりはよほど安心で安全です。

 

ところで、施設によると思いますが、お部屋にはベッドとマットレスしかなく、お布団が

必要なのだそうです。

 

車もなく、いきなり布団を運ぶなどということはできそうにありませんでした。

が、実は私の方から相談をもちかけて、夕方会うことにしていた友人がたまたま車できてくれるというので、

本当に厚かましいことながら、車で運んでもらいました。

地獄で仏とはこういうことを言うのでしょうか?

ホームに移る

翌日、8月17日土曜日、この日は実は大阪城で実施されるランニングの練習会に参加する予定でした。

すでにお金も払っていて、随分と前から「還暦自己ベストへの道」を探る練習会と位置付けていたものです。

暑いし、やることもいっぱいでさすがに無理、と前日の夜、欠席のメール連絡をしました。

ショートステイは2時までいられるので、午前中に母を訪ね、しばらく話をした後、

母のお昼ご飯を見届けて、自分もお昼を外に食べに行き、

ショートステイ先にお礼を言ってタクシーでグループホームに

移動しました。

グループホームのお部屋は、ベッドとクローゼットだけがあります。

とりあえず母の荷物を置いて、施設の方々、同じように入居されている方々にご挨拶。

要介護1のYさんはとても元気なおじさまで、母のために演歌をCDでかけてくれたり、

何かと世話を焼いてくれます。94歳のOさんは、車椅子だけど食事は自分で取れます。

母よりも若そうなSさんは、囲碁が大得意で職員さんを打ち負かしていました。

言葉は少ないけれど、囲碁はまだまだ健在らしいです。

男の人と一緒にご飯は食べたくない、と母はいうので食事の友は94歳のOさんになりました。

彼女、おしゃべりはしないけれど母に興味はありそうです。

 

部屋には衣装缶と、化粧品やノートなどを置くキャビネットが必要と思い、

メジャーを借りて部屋の中の寸法を測りました。

夜の間にめぼしい商品に目をつけておき、翌日、ホームでアマゾンに注文し、

施設の方に受け取りをお願いしました。

「来週は来れないからね」と言い置いて、8月3度目の大阪訪問も終わりです。

長いお盆休みを過ごした家族連れには最後の日。新幹線の上り列車はとても混んでいました。

その後の母

レビー小体型認知症の症状の1つに自律神経失調症、強い便秘というのがあります。

母はしばらく前から便秘に苦しんでおり、いつ電話しても「出ない」話をしていました。

私はそれを聞くのがいやで仕方ありませんでした。

他人の便の話など、毎度毎度聞きたくない、と思って避けていました。

私が東京に戻る日もその話をずっとしていましたが…

今日、8月20日、施設に電話して様子を聞いてみると、

緩下剤をもらってやっと二日ほど前に「出た」そうです。

 

夏の暑さで水分も不足、運動も不足なのでなかなか改善はされないだろうけれど、

きちんと食事をとってしっかり休めば少しは改善されていくかもしれません。

「今度はいつまでここにいるの?」と母は聞きます。私にもわかりません。

一人暮らしはもう無理だとわかりました。

東京に連れてきても昼間1人になることは目に見えています。

しかも、レビー小体は進行性で、今はまだ幻聴も幻視もましだけれど、

これからひどくなる可能性も高いです。

東京の同じような施設に予約待ちを入れていたけれど、やはり言葉も慣れた大阪で面倒を見てもらう、

というのも1つの選択肢に思えてきました。

施設の方々は親切で、何より施設長さんが母と同郷なので、その点を母が気に入っています。

 

これから本格的な「母の終末」という長旅が始まった、そんなことを感じた怒涛の2019年8月でした。

 

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この記事を書いた人

大野 清美

大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)