備忘のためのFacebook投稿
前回の投稿(8月22日)からほぼ、一月経ちました。
実家のある大阪を訪問するたびにFacebookに、備忘を兼ねて投稿してきました。
介護に関する投稿は、この一月で4回。
Facebookには、出来るだけポジティブな情報をあげたいと常づね思ってきましたが、
介護実体験もまた情報提供と思い直し、続けて投稿しています。
Facebookだと情報がすぐに流れていってしまうので、まとめてみました。
これまでの経緯まとめ
8月は4回、東京大阪を往復しました。
8月3日明け方、母が昔住んでいたことのある大阪市東住吉区の路上を午前3時に歩いていて、
その後深夜営業しているローソンに入り、警察に保護されました。
母には明確な行き先があり、それは私も知っている長い間の知り合いの家ですが、
とにかく行った時間が悪かった。
不安に追い詰められての行動だったと思いますが、認知症の症状の一つ(徘徊)と思われても仕方ない。
母が保護され、たまたま名刺を持っていた税理士さんに身元引受人になってもらうことになった、
という警察からの電話を受け、私は全ての予定をキャンセル、大阪に向かいました。
途中、土曜日のため電話ではつかまらなかったケアマネさんには留守電を入れておきました。
大阪到着後、駆けつけたケアマネさんと、「一人暮らしはもう無理だろう」と意見が一致し、
その日のうちに「ショートステイ」に入れてもらいました。
私が大阪に帰った時にいつも走りに行く大阪城公園のすぐそばの施設で、
お盆前で満室となっていたところ、幸いキャンセルが出たため、入れていただいたものです。
母は要介護1だったので、その介護サービスの範囲で利用できる日数は2週間まで。
その後は自費対応になるため、費用的にかなり厳しい。
その後すぐ、やはりケアマネさんの手配により、
ラッキーなことに、認知症高齢者を受け入れるグループホームに
一部屋だけ空きがあるというので入所させていただくこととなりました。
母は、精神科医の診断によると「レビー小体型認知症」で、症状としては幻視や幻聴、
被害妄想などがあります。
グループホームに入所するには、
- 認知症であることの診療情報提供書
- 結核などの感染性の病気がないというレントゲン結果
- 尿検査や心電図などの情報が記載された健康診断書
などの書類が必要だったので、翌週、その翌週、と東京から大阪に戻っては母をショートステイから
連れ出し、病院に連れて行きました。
そして2週間と1日でショートステイを退所。
無事、認知症高齢者を受け入れるグループホームに
移りました。8月17日のことです。
8月30日の投稿
グループホームに入って2週間経ち、また母の様子を見るために大阪に向かいました。
8月は、4回目の大阪行きです。
高齢になるといつかはどこかが悪くなり、一人暮らしもできなくなるとわかっていて、その「いつか」が来てしまった夏でした。夏に予定していたランニングの練習会、バイクのレッスン、プチツーリング、すべてキャンセル。英語の勉強、「やめ主婦」の原稿はモチベーションの低下と疲れでなかなか進まず。
時間はあっても、ぼんやりアマゾンプライムのNCISというドラマ(15年続いている海軍警察のドラマで、これは日本のどんな警察ドラマより面白い)を見ている時間だけが増えました。
今回の大阪行きは、家の管理をお願いすること、そしてグループホームで2週間過ごした母の様子を確かめるのがミッションです。
母を施設に入れてしまって、なんだか敗北感に見舞われて悲しくなるのですが、ほかに選択肢はやはりなかったとも思えるのです。さて、母はどんな様子でしょうか。
投稿では、自分で介護しきれないこと、母がついに認知症で施設に入ってしまったことに
無力感を感じていることを告白しています。
8月31日の投稿
実家の片付けを始めて呆れかえったり、グループホーム入所2週間の母を見舞いに行く様子をFacebookに投稿しました。
2週間、実家に行かないと郵便物やら回覧がポストにたまり、あらためて家人不在の家というのは管理が大変だなと感じます。物のない時代に育った母は、箱が大好きで、お中元などの品の箱をすべて取ってあります。
箱の中に箱があり、その中に箱があり、全部開けていくとホコリしかなかったとかいうことが多々あります。母の認知症は頭の中に不要なタンパク質が蓄積した結果ですが、頭の中も人体も、家も、不要なものが溜まらないということがとても大事なんじゃないかと、思います。
もちろん要不要は人それぞれなので、母にとっては空間を埋め尽くすほどのモノが豊かさの象徴だったのでしょう。一度整理してきれいにしてしまいたい、と思いつつ母が一時帰宅した時に嘆くかも、と思うとすべては処理しきれませんが、まあホコリ払うぐらいは大丈夫でしょう。
朝ごはん食べてグループホームに行ってきます!母、少しは元気になってるかな?
大阪地下鉄と環状線を走り回っています。松屋町→森之宮→環状線鶴橋→千日前線新深江→日本橋→谷町九丁目→新深江→難波→新大阪地下鉄を乗り継いで、母の用事(母の室内ばきを買ったり、うちからご要望の品を揃えたり)で昼過ぎには一万歩。歩くねー。
別れの時は寂しがるけどキリがない。ところで、グループホームには新しいメンバーも増えて、また新たな人間関係が!?引っ込み思案の母は全く交流しないけど、スタッフの皆さんにはよくしていただいてとても感謝しているそうです。今までと違ってひとりじやないから有難い。また来月ね。
ところで、母の人生を時間がある時に聞き書きしています。和歌山の田舎でお嬢さん育ちの母がどんな暮らしをしてきたか、昔話をさせると笑顔になるからいいリハビリになるかと思っています。今日は、村芝居に出た話が聞けました。
続けると母の人生のおさらいができるはず。少し元気になったら故郷に連れて行ってあげようと思います。和歌山は母の知っている姿と様変わりしていて驚くだろうなと思います。
郵便物が溜まることについて投稿をすると、郵便転送サービスを教えてくれた友人がいました。
東京に戻って早速手続き。便利です。ありがとう。
お金の管理
施設に入って自分ではお金の管理ができなくなったので、代行者になっています。
これまでは自宅でご飯ぐらいの出費しかなかったけれど、ホームでは「部屋」は賃貸なので
お部屋代と食事、その他のサービスを含めて月々20万円ぐらいがかかります。
もちろん年金だけでは賄えませんから、母の貯蓄の取り崩しとなるわけです。
なので、今後は節約をしないといけません。こんなことを書きました。
母が施設に入ったので、お金の管理も任されている。固定費を減らそうと、無駄の洗い出し。買って以来、全く使わないスマホを一旦安いプランに変更、さらにポイントで携帯料金支払い。電気料金も、場合によっては利用プランを変える。テレビも見なくなったのでNHKさんは解約。他にも色々洗い出そう。あと、溜め込んだモノを出せるように粗大ゴミの連絡絡もして次回は少しゴミを出しやすいようにしよう。いやー、やること多いな。
電気料金については、関西電力に電話をして検討してもらいましたが、現状が一番安いそうです。
不在が一月以上続くならば全てのブレーカーを落としておくと基本料金もかからないそうですが、
毎月通っているし、また、ビルなのでポンプで水を上に上げていることもあり、全く電気を使わないことには
できないのです。残念。
投薬について
医療的なことは迂闊に素人判断できないので書くのが難しいのですが、
(なので、Facebookには書かなかった)
8月末に母を訪問した時に「薬を1日に15錠飲まないといけない(のが苦痛だ)」と
言っていました。
(写真はイメージです)
それは大変だなあ、と思ったのですが…その時はどうすればいいのか、わかりませんでした。
母は、長い間幻聴を訴えていたので、その症状が緩和するように、
と今年の6月から精神科医に「ロナセン」を処方されていたのです。
精神科の薬を飲ませることに抵抗はあったのですが、幻聴がましになれば楽になるかも、と
思い、継続的に服用してもらっていました。
しかし、15錠という大量の薬の話を聞き、だんだん気になってきました。
そこでロナセンの副作用を調べてみると、「著しい便秘、不眠、パーキンソン症候群のような症状、不安、
食欲不振、ふらつき、被害妄想、睡眠障害」などがあり、全てが母に当てはまっていたのです。
また、糖尿病患者との相性も悪く、糖尿病の薬を飲んでいる患者には注意が必要だと書かれていました。
6月に処方されてから、7月にはめまいが起こって階段で「ふらつき」、肋骨を骨折、
そして、8月には「ひどい便秘と被害妄想」で家を夜中に飛び出すなど、薬だけが原因とは思いたくは
ありませんが、あまりに色々な症状が一気に出ているので私もすごく不安になりました。
良かれ、と思って母を病院に連れて行ったけれど、
逆に症状を悪化させたのではないか…そんな疑念が湧きました。
早速、施設に電話し、相談しました。
幸い施設の方ではすぐに施設付きの医師に連絡してくれ、医師とも直接話ができました。
私の不安と母の症状を訴え、また現在34キロしかない母に「成人」並みの量の薬を投与するのは
無理があるのではないか、と伝えました。
医師も理解してくれ、ロナセンは中止して様子見。糖尿病の薬も中止。食事療法で行けるか血糖値を
観察しながら対応、というようにしてくれました。
施設付きの医師の観察の元ならば、減薬しても急変はないだろうと思っています。
実際、8月には目の焦点も合わないような感じでおかしくなっていましたが、
減薬してから2週間ぐらい経ち、
前回会った時は少し色々な症状がましになったように思います。
入所からひと月近く経って…実家の片付け
母が家に戻らないことがほぼ確実になり、実家の片付けを始めました。
【マトリョーシカの呪い】実家に戻ると、いつもモノの多さに圧倒されて落ち着かなくなるのですが、母が施設に入ってついに片付けの日が来ました。母を施設に訪ねて家から撮ってきて欲しいものとかの御用聞き?して、「身体がえらい(しんどい)からもう死にたい」というのを適当にかわして(食欲はあった)、実家に戻ったのが夕方5時。
帰宅してから片付け始めて気づいたら12時。なんと、飲まず食わずで働き続けていたわけで。で、母が溜め込んでいたものは、「箱」。
モノのない時代に育ち、高度成長期を経て、割にリッチな年寄りになって、お中元、お歳暮の品の箱は全部と言っていいほど捨てずに再利用。再利用といえば聞こえがいいのだけれど、大きな箱の中にやや小さなはこがあり、次に、そしてその次に、とキリがない。で、最後の箱にたどり着いたら、「箱だ」った…みたいな。いや、それは大げさですが、とにかく捨てられないものを入れてある。
分類されているから、まだマシですが。まだ70代の頃はここまでモノをためなかったと思います。歳をとるとモノを捨てるというエネルギーのいる作業はできなくなってくるのだと思います。捨てる、捨てないの判断をしないといけないので、脳に負担なのでしょう。
私が手配して祖父母のタンスや、実家が商売していた頃の機械や、25年も前に亡くなった父の道楽のビリヤード台を処分したのは5年ほど前。
その後は自分のモノを溜め込んできたのですね。
80代になってからは、紙書類(血液検査の結果とか、血圧とかの数値記録もの)をずっと溜め込んでいました。それらを全て箱の中に。後から見ることはほとんどないのに。わからなくはないですが、病を恐れて数字に一喜一憂してきたのかと。
家も体の中も、処理しきれないモノがたまり始めると空気がよどんだり、病気になったりするような気がします。今日は、大阪市の粗大ゴミセンターに6袋分とお願いしてあったので、それだけ詰めて終わりにしました。また、来月、月曜日休み(普通ゴミ、そして粗大ゴミを出しやすい)を狙って片付けします。
大量の箱は、明日、資源ごみの日に手伝いに来る三女が介護休暇を取ってくれて出してくれることになりました。
これからしばらくは毎月ゴミ捨ての生活が続くと思います。
今となっては、介護に行っている間の自分が「居心地よくする」ための作業、ですが。
(たくさんの物が溢れる部屋。張り紙が多い)
敬老会に出たよ
グループホームに入ってちょうどひと月、施設で敬老会があり、行ってきました。
ホームは1フロア9人、3フロアあるので合計27人まで入居可能ですが、現在25名、ほぼ埋まりました。
母のフロアは満室。全員が一階に集まり、家族も参加して、ゴスペルグループの歌を聞かせていただきました。ゴスペルグループの方は高齢者に配慮して、懐メロ、小学唱歌など、皆が知っている歌ばかり、1時間のショウを盛り上げてくれました。
母は前の方に座っていたのですが、私と三女が来て後ろに座ってみていると、まるで授業参観の小学生みたいに後ろをチラチラみていました。三つ子の魂、と言うのでしょうか。こんな子供だったのかなぁ、と。もともと落ち着きなかったですが笑ショウが終わると、一階のフロアから移動するのですが、その際、施設で一緒にいる二つぐらい歳下の女性入所者の方と手を繋いでエレベーターに乗るなど、お互いしゃべっていることは理解してるのかわからないまでも、仲良く?やってるのだなぁと安心しました。
その後、フロアに戻り、お菓子と紅白饅頭をいただいてカラオケ歌う人、家族とおしゃべりする人など、和やかに過ごしました。入所の方々、普段はおやつを食べませんが、今日は特別みたいでお菓子(揚げ煎餅とか、カントリーマアムとか)が出て、意外と嬉しそうに食べていました。紅白饅頭は、やはり子供時代の懐かしいお菓子、結構喜んで食べる人がいました。車椅子の方も半分ぐらいいて、歌を聴いても半分寝ているのか、反応のない(ように見える)方もいます。自宅介護の方々もいるし、いよいよとなって施設に入った方々もいるでしょう。
母に、「ここはいつまでいるの?」と、聞かれ、「1人で生活できるなら帰っても良いよ」と言いましたが、「それはもう無理や」と言っていました。母の希望は私の近くの施設で、ということですが、今のところ順番待ち、です。でも、母が長年過ごした大阪、人情が厚く、関西弁で話してくれる環境はなかなか捨てがたい、と私は感じています。一緒に行った三女も「大阪の方がみんな親切だね」と感想を述べていました…
親切度が地方によってそれほど違いがあるかどうかはなんとも言えませんが、人間の距離の取り方は、大阪の方が近しいです。とにかく、知らない人にも「飴」あげたり「みかん」あげる人たちなんで笑。まだまだ遠距離介護続きますが、少し落ち着きました。(今のところ)。
そんなこんなの遠距離介護はまだまだ続きます。