介護日記 実家に行くとブログが書けない理由がわかった!

実家で母と付き合うと、ネタは多いのだけど、

1つもブログが書けない。

前回、お正月に訪問したときは「少しでも一緒にいてあげよう」なんて殊勝なことを考え、

敢えてランニングウェアを持参しなかった。

一緒に行った娘が「ママはずっと怒るか、おばあちゃんを無視していた」とその時の私の様子を

後に話していた。

確かに、余裕がなくなるのだ。

今回は、そもそも確定申告書類作成という大仕事があったけれど、

ランニング用品は敢えて持参した。少しでも母から離れる時間をもつためだ。

さて、今回、実家に戻って3日目、走りながら「なぜ実家ではブログが書けないのか」ということを

つらつらと考えていた。

そしてわかったことは…

「頭が疲れる」ということだった。

母の話は、いつも主語がない。背景説明のない話が次から次へと出てくる。

「誰の、何の話」かわからないので、

それを話してもらわないとさっぱり訳が分からないのである。

まあ、言うだけ言えば気が済むので理解する必要もない話ばかりだけれど。

あまりに無視するのも…と相づちをうったりするけど、とにかくわからない。

その、「誰の、何の話」かわからないのが、非常に疲れるのである。

想像し、類推し、適当な相づちをうつ。話を聞くだけで頭はフル回転なのである。

なので、頭をいっぱいいっぱい使ってしまう。

しかも、次から次にしゃべりかけられる。頭は疲労の極致。

そして、さらに続くのは悪口。悪口は、言う方は1番快感である。

他人をけなすことで自分が上に立つことができる。

でも、時に禁止用語まで使って発される言葉に私の身体は「負のオーラ」に巻き込まれてしまう。

結局、頭も、身体も疲れきってしまうのだ。

だから、「走る」という行為はこの場合、「心にも身体にも」とてもいい。

頭は空っぽに、負のオーラは振り切ってしまえる。

母に悪気はない。

ただ甘えているだけ。

今回は滞在中にランニングをとりいれ、頭を空っぽにしたので冷静に考える時間がもてた。

そしてわかったことは、「訳の分からない話」を理解しようとすると、

頭は疲れる、ということ。

実家にいる間はブログ書くのはあきらめるしかないかな?

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)