優しくなれない–母の老い支度

5月初旬に「顔面神経麻痺」で顔が歪んでしまった母。電話を聞いて自分の誕生日に飛んでいった。口が歪んでお茶を飲むのにも苦労していた。

幸い、治るタイプだったようで、3週間経った今、かなり元に戻っている。今日はMRIの検査があり、検査が怖いと言うので病院に付き添った。東京ー大阪、5月は2往復目。昨年秋の大阪マラソン以降は自分の抗がん剤治療があり、私自身は副作用はありつつ身体は元気だったけど、髪のことを何か言われるのがいやで、それまで毎月行っていた大阪にはしばらく帰省しなかった(お正月には替わりに次女三女に行ってもらったけど)

「何にもできない」と言うのが母の口癖で、それを言われる度にとても腹が立ってしまうのだ。本も読まない、新聞も読まない、情報源は近所の人の正確かどうかわからない話のみ。何一つ自分から動かない。

父が病気で倒れたときも、亡くなったときも、貸している不動産のことで店子さんとトラブルがあったときも、何十年と放ったらかしていた倉庫を整理するときも、繰り返し繰り返し「落ち込んでんねん」と電話してきては私が動いて問題を解決するまで待っている。彼女にとって問題解決の方法は「清美に電話して聞いてもらおう」だけなのだ。

「あんたがいてくれな何にもでけへんねん」「娘に愚痴聞いてもらわんで誰に聞いてもらうねん」と「親の権利(?)」を主張する。

「あんたには子供が3人いるからええなあ。年取ったら誰か面倒見てくれるやろ」–なんて答えればいいのだろう。

それでも家事ができるだけ立派だとは思うのだ。父が亡くなって24年、父が遺した遺産で一人暮らしをしてきた。「よく頑張りましたね」と言ってあげたいとは思うのだ。

だけど、「肉体的にも精神的にも」丸投げで寄っかかられるのはあまりに重い。せめて「できること」「できないこと」をきちんと自分で振り分けて、できないことだけを任せてほしい。

こんなこと、今更望むのは無理ですね。こちらの考え方を変えないといけない。自分はそれがなかなか出来ていない。苦しいなあ。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)