あんたはわたしの…
面と向かって私は母にとって「生きがい」といわれたことがあります。
そのときは「うわー、重たー!」と心の中で叫んだと記憶しています。
いつだったか、私の娘たちにも「清美は私の生きがいや」と言っていたそうです。
勝手に親の「生きがい」にされて嬉しい人はいるのかな。
「子どもや孫の成長が生きがい」とか、
「立派に育っていく姿を見ているのが楽しみで、生きがい」である、
ならわかります。
人生の一時期、手をかけ、慈しみ、育児に一生懸命になることはありますし、
自然なことと思います。
でも、こどもも思春期をすぎたなら、子離れしてあらたな生きがいを
見つけたほうがいい、と私は思うのです。
成人した後もいつまでも過度の期待をもたれたり、
勝手に「生き甲斐」にされるのは逆に重荷です。
「今までありがとう。あとは自分で考えて生きていく。そのように
育ててもらった。あなたもこれからの人生を有意義に過ごしてください」
そう言ってお互い自立できれば、と思います。
人生100年時代、「親孝行したいときに親はなし」という時代は昔話。
お互い老後が長くなる中、「子ども」を生きがいにしていては老後の人生の充実は
はかれません。
時代の変遷とともに価値観が変わってきてしまうので、同じ価値観で生きることが
できなくなるからです。
母はどのようにして生き甲斐を失っていったのか
一般的に「生きがい」の対象となるのは
「趣味」
「仕事」
「人間関係」(子育て、夫婦の時間)
だそうです。
母は58才の時に夫を亡くしました。
生きている間は暴力的で、手のかかる人でしたが、不動産を残してくれたため、
父がなくなった後、遊んで暮らせるだけの家賃収入を得て暮らすことができました。
カラオケ、フォークダンス、民謡など、
父が生きている間にはできなかった習い事、趣味に夢中になりました。
特にカラオケはお気に入りで、家にカラオケセットを購入し、マイクを持って
楽しそうに練習をしていました。
そのころは、私を「生きがい」とは言わなくなっていました。
趣味とはいえ、勉強熱心な母でしたから、どの趣味も「一生懸命」に取り組んでいました。
しかし、80歳を過ぎる頃から耳が遠くなり、いずれの趣味も音楽が聞こえないとできないため、
徐々にやめてしまいました。
さあ、そうすると、「友だち」も「好きなこと」も何1つ残らなくなりました。
仕事は、といえば不動産の管理ですが、趣味に関わっている間に
面倒なことは全て私にやってもらう癖がついて面倒なことは一切やらないし、できません。
趣味がなくなり、仕事がなくなり、残るは人間関係のみ、しかし一人娘は遠くに住んでいる。
それでも、残る数少ない肉親である私を「生きがい」にするしか選択肢はなくなってしまったのです。
再び「清美は私の生きがい」がよみがえってしまったのです。
母が教えてくれること
母がそのように(私を生きがいに)思うのは、止められないし、もう変えられません。
何か好きなことはないか、生きがいをもたせようと、少しは努力してみましたが、
生きがいは人に与えられるものではありません。
正直うっとおしい、と思いますが、世の中にはそのような親御さんも多いのでは
ないでしょうか。
母を見ていると「年寄り叱るな行く道だから」という言葉を思い起こします。
自分だってそうならないとも限らない。
だから、母は身を以て私に教えてくれているのです。「こうならない道を選びなさい」と。
そう思うようにして、出来るだけ「重荷」を感じないようにしています。