義父がやっと車を手放した–説得に半年かかった高齢者の運転免許返納(免許取り消し)

84歳の義父が車の運転をあきらめるまでの道のり

正直、この半年ほどは、気が気ではありませんでした。

いわゆる高齢者の運転問題です。

 

義父は84歳。

高齢となった義父の「最後の楽しみ」であるドライブを奪ってしまうことを

かわいそうだとは思いつつ、あきらめてもらった経緯を書きます。

父の暮らし

高知県で一人暮らし、84歳の義父は、2020年7月まで車を運転していました。

義母はアルツハイマーでもう10年以上寝たきりで、会話も叶いません。
義父は、そんな母を見舞いつつ、自分自身もだんだん老いてきてしまいました。
おしゃれだったのに、だんだん身の回りのことにかまわなくなり、
甘いコーヒー牛乳や、ペットボトルの飲料が好きで、水分補給を
主にそのようなものに頼っていた結果、太ってしまい、
膝が悪くなり、2階建の家ですが2階には上がり下りできなくなっていました。
もともと宵っ張りだったうえに一人暮らしの気ままさが加速し、
朝、起きることができず、決められた時間までにゴミを出すこともできず、
日増しに生活能力が低下してきたようです。

異変の始まり

2020年1月初めにケアマネさんから夫に電話がありました。
義父が「2階で女性の人声がするから見にきてくれ」と、警察に電話したそうです。
すでに書いたように、義父は膝が悪くて、2階に行くことが出来ないため、
110番したのです。
警察がきて、2階を「捜索」してもらいましたが、
もちろん誰もいません。また、「妻が何処かに出かけたまま帰ってこない」と、話したとか。
何かおかしい、と感じた警察がその情報をケアマネさんに共有し、ケアマネさんから
夫に連絡がありました。
その時、父の介護度は「要支援1」で、
家の片付けや簡単な清掃をお願いすることになっていました。
異変を感じた警察とケアマネさんとの連携があり、
また、義父の情報は警察内部でも共有され、
今度は交通課の警官が「免許返納」を説得に義父の自宅を訪問したのです。

夫の説得 

一人息子である夫は、ケアマネさんから電話があってすぐに高知に飛び、
その後は3週間おきぐらいに義父を訪ねています。
行くたびに車の免許返納の説得をし、また手紙も書きました。
また、行くたびにゴミをゴミ集積所に持って行ったり、
家の補修や不具合を直してきました。
一度などはトイレが詰まり、義父は車で近所の公園に
用を足しにいっていたとか。また、ガス料金を払い忘れて
ガスが止まったり…おかげで数日はお風呂に入っていなかった、という
こともありました。
台所の床は長年の湿気で崩れ落ちそうになっており、
それもインターネットで夫が業者さんをさがし、見積もり、補修をお願いするのですが、
常に現地に行けるわけではありません。
家にいるのは義父なのですが、義父との連絡は困難を極めました。
例えば、朝、「今日は午後2時に業者さんが来るから家にいてね」
「わかった、わかった、家にいるよ」と答えつつ、
業者さんが行くと留守になっていて、車がない、ということが
しょっちゅうありました。
朝の電話を忘れて、どこかへ遊びに行っていたようです。
家の補修や、ガスの不具合など、普通にできそうなものですが、
そういったことが自分で解決できなくなっているのです。
(どうしてケアマネさんに相談しないのか、そこも不思議ですが、
プライドがあるのでしょうか?)

義父の事情

義父の住む地域は、買い物難民地域。
車がないとほとんど生活できません。
昔は地域にあったスーパーが閉店し、もちろん公共交通機関はありません。
大きな会社を早期退職して第二の人生として大阪にあった家を手放して
義母と義祖父母と一緒に「終の住処」のつもりで高知に移住しました。
しかし、第二の職場でうまくいかず、60歳になる前に退職。
少しは再就職先を探したものの見つからず、
また、大きな会社にいたためか、小さな組織に入ることも
プライドが許さなかったのでしょう。
一緒に住む義祖母は義母の母親で、義母である娘可愛さに
そんな状態になった義父を責め立て、
結局義母は夫と母親の板挟みになったストレスからか、
義祖母より早くアルツハイマー病になってしまいました。
義祖母はそのうちに高齢者施設に入り、
義父はしばらく義母の介護をひとりで頑張っていましたが、
心臓を悪くしたことと、義母がどんどん自立生活ができなくなって
しまったことがあいまって、とうとう義父の一人暮らしが
始まったのです。
それでも、しばらくは大好きだった歌を生かしてカラオケの先生をしていました。
そのうちにそれも引退。
私自身は自分の母親の介護で忙しく、夫が年に数回訪ねるような暮らしが
(特に「きて欲しい」という要請もなく、機嫌よく生活していたようです)
長い間続いていました。

でも、老いはひたひたと義父にも近づいてきていました。

次なる手段は…

交通警察が父のところに来たあと、夫が高知に行くと、
「いや、警察など呼んでいないし、交通課の人なんかきてない」と
夫に声を荒げたようです。
自分が警察を呼んだことをすっかり忘れているのです。
そして、交通課の警察官の話は全く理解していなかったようです。
夫やケアマネさんが免許を返納するように話すと、
「僕は、車に乗って海を見に行くのだけが楽しみなんだ。
安全運転してる!」と、言いはります。
また、夫が高齢者施設の見学の予約をして連れて行こうにも、朝、起きてきません。
「施設は年寄りばかりだからいやだ。僕は気ままにしていたいのだ!」
気ままはいいけど、とにかく世の中にご迷惑をかける前に
運転をやめさせないといけません。
夫は、自主的に免許を返納させることはこの時点で諦めました。

自主返納がだめならば免許取り消し(行政処分)に

次は、「免許取り消し」にしてもらうことです。
夫は義父を病院に連れて行き、認知症の検査をし、医師の診断書を
とりました。そして医師の方から警察に報告してもらいました。
義父は、いろいろ言い張りながらも、不安もあったのでしょう。
病院には素直に行ったようです。
長谷川式認知症スケールテストをし、やはり軽度認知症で
運転には適さない、と。
警察のほうで「運転免許の取り消し(行政処分)」の手続きが始まりました。
免許取り消しの手続きはやはりお役所仕事、正式に停止の通知がくるまで一月余りかかりました。
実はその1ヶ月もやはり「早く運転をやめてくれないかなあ」と
心配でした。
ところで、2020年1月からは、
運転免許証の更新期間が満了する日の年齢が75歳以上のドライバーは、高齢者講習の前に認知機能検査を受けなければならないこととされています。(平成29(2017)年3月12日改正道路交通法)
認知機能検査は、運転免許証の更新期間が満了する日の6月前から受けることができます。
認知機能検査の対象となる方には、運転免許証の更新期間が満了する日の6月前までに認知機能検査と高齢者講習の通知が警察から届きます。
となっており、義父の場合は次の更新(1年後の予定だった)を
待たずに免許取り消しとなりました。

義父の生活をまもるために 

夫はケアマネさんと相談し、介護度を上げていただき、
日用品を買いにいっていただくようなサービスを入れてもらいました。
そして、やはり義父の移動手段を確保するために電動カートの試乗の手配をしました。
本人が気にいらなければやはり施設に入ってもらわないと義父はおそらく生活できません。
とにかく、車がないと自立生活はできない場所なのです。
 
さて、義父が電動カートを試乗したところ、
「運転上手ですね」と、レンタル会社の方に褒められました。
それがとても嬉しかったらしく、やっと車を手放す決心をしてくれました。
免許停止の通知が来る前に、なんとか
ディーラーさんに車をひきとってもらうことができました。
夫は、このディーラーさんとも何度か話をして、連絡先もいただいていました。
最初の出会いは偶然で、
夫が義父を訪ねた際に不具合のあった車をディーラーさんが届けてくれた時に
話をしたようです。
その方は、義父が高知に移住して以来のお付き合いだったようです。
「細かい擦り傷などが増えてきていて、次の免許更新はダメでしょうね」と
すでに昨年辺りから「予言」されていました。
なので、義父の様子がおかしくなってからは「いつでも引き取りに伺いますよ」
と言ってくださっていて、免許停止が決まったことを夫が連絡すると、
すぐに引き取りにいってくださいました。
夫、ケアマネさん、警察、ディーラーさん、多くの方のご協力により
事故を起こす前に、本人が納得して車を引き渡しました。18万キロ走っていたそうです。

義父のこれから

少し認知症はありますが、まだ自分で生活したいと言います。
施設の手配はできているのですが
「ご本人が納得しないと、入っていただいても「家に帰る」と言って騒いだり、
色々問題を起こされるので、ご本人の気持ちが固まったら来てください」
ということになっています。
「免許証は、電動カートが来てから届けに行く」と、
「最後のわがまま?」を言っているみたいですが、車がないので運転はしないと思います。
夫はこの半年に何度高知に飛んだことでしょう。やっと、一つの山は超えました。
加齢は不可逆のプロセスです。次に何が起こるかわかりません。
ケアマネさんや周りの方々のご協力を仰ぎながら
夫の遠距離介護は続きます。

運転免許証の自主返納について(警察庁サイト)

高齢運転者の認知機能検査について

介護が気になったら→まずは該当者の生活地域にある包括支援センターに相談してくださいね。

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)