1. 非武装地帯(DMZ)への一日ツアー、北朝鮮を見てきた!
2018年9月3日から8日まで韓国に旅行しました。
その5日間のハイライトは何と言っても
DMZ(38度線・非武装地帯)への一日ツアーです。
非武装地帯へは、個人では行けません。必ずツアーになります。
今回は、夫が所属する学会でのオプショナルツアーが開催されたので
参加しました。バスによる一日ツアーです。
1945年、 日本の敗戦により朝鮮半島は
アメリカとソ連に分割占領されました。
この時の境界が北緯38度線。
1948年には南北で別の国ができました。
1950年朝鮮戦争が勃発し1953年休戦協定が締結。
その時に軍事分界線または休戦ラインと呼ばれる新たな分断線が作られ
分断線の両側2キロは非武装エリア(DMZ:非武装中立地帯)と言われています。
一日のバスツアーを振り返ります。
2. 戦争記念館
ガイドさんは英語が達者なMs. So Heyさん。45人の
インターナショナルな(つまり、まとめにくい)
ツアー客をテキパキまとめて行動します。
最初に訪れたのが「戦争記念館」ここで南北が分断された歴史を予習します。
Heyさんの説明はとてもわかりやすいです。
朝鮮戦争で何があったのかを流暢な英語で説明。
1950年6月25日、金日成率いる北朝鮮が中華人民共和国の毛沢東と
ソビエト連邦のヨシフ・スターリンの同意と支援を受けて、
事実上の国境線と化していた38度線を越えて
韓国に侵略を仕掛けたことによって勃発しました。
開戦から北軍は優勢で韓国軍はどんどん陣地を失っていったのです。
国際的な文書のやり取りが展示されています。
北朝鮮軍にどんどん追いやられた韓国軍(白い部分)。
もう、風前の灯火になっています。
ここでマッカーサーの「仁川侵攻作戦」が決行されます。
沼地であり、上陸不可能といわれた仁川(首都ソウルに
隣接する都市)からの侵攻作戦で
やっと押し戻しが成功、なんとか停戦に持ち込んだのです。
(仁川に多国籍軍が無事に上陸できたというのは
奇跡に近い出来事だったとか。
マッカーサーはなんて運がいいのでしょう?
しかし、彼自身は朝鮮に留まることがなく、
本国に帰国するまで東京から日帰りで指揮をしていたそうです)
朝鮮戦争では朝鮮半島の国民のみならず国連軍(多国籍軍)のなかでも
多くの死者がでて、
【停戦】とはいえ、少なくとも交戦がない状態を獲得するための
犠牲は大きかった…
日本語の解説書もあります↓
DMZができた経緯を記念館で予習したあとはランチです。
3. プルコギランチ、臨津閣(イムジンガク)
ツアーはソウル市内から一日がかりのバスツアーです。
お昼ご飯付きとなります。
韓国料理、美味しいです!もちろんキムチつき。
あ、お肉が写ってない!
お昼が終わるとバスでまず、臨津閣(イムジンガク)に向かいます。
臨津閣は大韓民国京畿道坡州市にある、
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間の
軍事境界線付近を見渡すことのできる展望台です。
遊園地もあり、デートスポットになっているとか。
南北統一を願う旗が括り付けられています。
ここは、軍事境界線の南方に設定された民間人出入統制区域の外にあり、
特別な手続きなしに一般市民が北朝鮮に最も近付ける場所だそうです。
そのため、離散家族が北朝鮮にいる家族を思って訪れる場所となっているとか。
鉄条網が怖い雰囲気を出していますね。
様々な願いがこめられていることが感じられます。
京義・中央線長湍(チャンダン)駅で北朝鮮側の爆撃を受けて
脱線し放置されていたという
蒸気機関車が展示されています。
鉄条網が、普通ではないところに行く、
という雰囲気を盛り上げています。
板門店とは、ソウルから北に50km、
北朝鮮の開城(ケソン)から10kmの位置、
軍事境界線を中心とした800m四方の一帯の呼び名です。
ツアーでソウルから板門店へと向かう途中に通過する、
民間人統制線(民間人統制区域と一般区域の境界線)である
「統一大橋(トンイルテギョ)」は、
板門店までわずか9.5kmの距離にあります。
現代(ヒョンデ)グループ創業者、鄭周永(チョン・ジュヨン)が
1998年に「南北統一の畑を耕す」といって耕作牛500頭を連れてこの橋を渡り、
北朝鮮を訪問したことでも有名だそうです。
通過時には検問があり、身分証(パスポート)の確認があります。
韓国の軍人さんにパスポートを見せます。
ここでは「入ってきた人数」と「出て行く人数」が
同じであることを確認することに
なっています。
4. 第3トンネル
DMZ(非武装地帯)付近には
北朝鮮が韓国に攻め入るために掘ったといわれる
南侵トンネルが4つあります。
その中でも京畿道(キョンギド)・坡州(パジュ)市で発見された第3トンネルは、
軍事境界線まで約200m地点まで近付くことができることから
一番多くの観光客が訪れるトンネルです。
ツアーで行くと、観光客はそのトンネルに入ることはできます。
撮影はもちろん禁止。
入り口からは結構な長さで、ヘルメットをかぶって背が高い人は
頭をぶつけそうになりながら
トンネル内部を進みます。
1978年、軍事境界線にある板門店(パンムンジョム)から約4km、
ソウルからはわずか52kmしか離れていない地点で発見された第3トンネルは
脱北者の証言により存在が明らかになりました。爆破跡の向きなどから、
北朝鮮が韓国側に攻め入るために掘ったものと推測されています。
地下73mに掘られたトンネルは、幅2m、高さ2m、全長約1.6km。
トンネルの南側の出口は3ヶ所に分かれており、
北朝鮮の兵士が1時間に3万人移動できる規模だといわれています。
5. 都羅展望台(トラチョンマンデ)
観光バスは、橋を渡るとすぐに都羅展望台に向かいました。
展望台以北は非武装地帯で、北側の塀は高め(1.7mほど)に
作られているそうです。
非武装地帯は見渡す限り原野が広がっていて、北朝鮮側もよく見え、
また望遠鏡(有料)で見ると北朝鮮の国旗も見えました。
(写真ではすごーく小さく写っています)
また、天候が良ければ双眼鏡を通してながら、
韓国側の写真をとることは禁止されていて、
北朝鮮側を臨んで写真を撮ります。
この山野が北朝鮮側です。
人が入らない地帯なので、貴重な動植物がいっぱいいるそうです。
また、今も北朝鮮は「薪」で調理しているので
北朝鮮側の山は「禿げ山」が多いとか。
写真撮影などは、禁止事項が多いため
緊張してしまって興味深いと思いつつあまり撮影はできませんでした。
6. 都羅山駅 トラサンヨッ / 도라산역
坡州DMZエリアの鉄道駅である京義(キョンイ)線都羅山(トラサン)駅は、
文化駅ソウル284(旧ソウル駅舎)から58km、
北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)駅まで205km、
開城(ケソン)駅まではわずか15kmの場所に位置しています。
ソウルから都羅山駅へとつながる線路は北朝鮮の方まで延びており、
将来南北の鉄道が連結した際には、
都羅山駅が北朝鮮に向かう始発駅となります。
駅構内には「南北出入境管理事務所」が設置されており、
将来南北の人々が行き来する際に利用する出入境審査台や
税関などの施設も整っています。
模型です↓
一日に一往復便だけ走ります(2018年9月)。
人気のないきれいな駅で、売店もあります。
将来の構想↓
かつては一時間に1本走っていたそうですが…今はほとんど使われない駅。
南北分断の現実を見て悲しい気持ちがこみ上げました。
ソウルからDMZへの1日旅行、様々な思いがこみ上げる旅でした。
(韓国旅行記(その2)に続く)