【介護日記】考えることを放棄し始めた母(2019.4.12)

現在の状態

だんだん衰えていく母を看るのはつらいものです。

85歳でまだ一人暮しができているのはいいのですが。

今年の3月の介護認定では要介護1。

週に2回デイサービスに通っています。

私は東京から大阪まで月に1−2度、2−3日は行くようにしています。

いわゆる遠距離介護。

戻ったときに公的書類の説明や様々な手続きをします。

お役所から届く書類などは、まったく理解できないようです。

書類に書かれた漢字にはふりがながふってありますが

そういう問題ではないのですね。「理解」ができないのです。

「わからんわー」を連発するようになった

一軒家に住んでいるのですが、

隣の空き地に最近工事がはいって

家を建てるとか建てないとか、その隣家との

境界線について自宅の土地が侵食されるのではないか、

というのが目下の「悩み」らしいですが、

状況をきちんと説明できないため、

背景なく何かを言い始めては、途中で説明が面倒くさくなるのか

「それで、どういうことなの?」

「何が心配?」と聞くと

「わからんわー」と言うのです。

多分、頭の中で繰り返されていることを

私に発して、だけどそれ以上に思考が進まないため

面倒になって「わからんわー」で済ませようとするのですね。

私としては何か心配事があって解決を求めているのかと

思って尋ねるのですが、

漠然とした不安や気になることがあって、

でも言語化できない。

もどかしいでしょうが、こちらもわけがわからない。

で、イライラするのですが、本人は多分発言しただけで満足なのでしょう。

漠然とした不安があっても、それを自力では解決できないし、

特段、何かをしてほしいと思っているわけでもなさそうです。

情報源が限られることの弊害

耳が不自由なため、入ってくる情報が限られます。

テレビしか情報源がありません。

読書はしません。新聞も読まない。

「近所のテレビの音がうるさい」と幻聴はあります。

(しばらく前はカラオケと言っていましたが)

「電話かけてや」と、いつも電話を待っているのですが

実は電話をかけても補聴器をするでもなし、

自分が話すだけで満足なようです。

「聞く耳をもたない」というより、受話器の向こうに誰かがいる、

それだけでいいみたい。

昨日電話をしたときは、特段用事がなかったためか、

いきなり「わからんわー」と言っていました。

私は、母の家のSkypeをつけっぱなしにしていて、

母の姿が見えるように、ウェブカメラを母のテレビの上に設置しています。

電話機もそばにあるので、電話をかける時は自分のスマホのSkypeをつけて

母が電話にでるかどうか、そして電話している時の様子を

モニターできます。

昨日はテレビを大音量でつけていながら

私と電話で会話するという状態でした。

その状態だと私の声が聞こえるはずがありません。

たぶん、みたいテレビがあって(どうやらフィギュアスケートをみていた?)、

会話が面倒だったのでしょうね。

で、用事がないのでいきなり、「わからんわー」

どこまでいけるか

本人も日々頭が衰えていっているという自覚があって

「もう、あたまがあかんねん」とよく言います。

私も日々衰える姿を見て、感じているはいるものの

すぐに何かをしなければならないという状態でもない。

母とは一度一緒に高齢者住宅などの施設見学に行きましたが、

やはり自宅でいられるかぎりは自宅の方が

勝手気ままでいいなあ、と思って保留にしてあります。

それにしても

次の手を考えなければ、と思うこのごろです。

(写真は、3年ほど前かなあ。まだ元気だった)

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)