初心者還暦ランナー、30キロレースで自己ベストを達成して3時間切り!

東京30K(とうきょうさーてぃけー)2020年10月3日レース記録

コロナ感染症対応レース

会場では走る時以外はマスク着用です。

駅は比較的空いていましたが、会場では「こんなに参加するんだ」

というぐらい人がいました。

到着するとまずは体温測定。

荷物を預けると整列場所に。8時から2分毎のウェーブスタート。

並ぶときも、一列に4名、前の列とは2メートル開けて並びます。

給水は5キロごとで、これまではコップにドリンクをいれて

手渡しでしたが、今回はペットボトルの支給。

ボトルポーチは必需品でした。

更衣室も、できるだけ密を避けるために「(更衣室を利用しないで屋外でも

着替えられるようにバスタオルなどを持参して」ください、との指示がありました。

また、私は8時スタート組でしたが、今回は2部構成で、11時スタート組も

あり、参加者をかなり分散させていました。

主催の方々にとっては長時間の取り組みで、本当に感謝の気持ちが絶えません。

レース運び:2時間56分11秒の走りの記録

私のフルマラソンの目標は、4時間半を切ること。

自己ベストは2014年の東京マラソンでの4時間38分40秒。

初フルマラソンが自己ベストで、その後は遅くなるばかり。

過去の自分を越える、それが目標となっていました。

そのためには、30キロは、できるだけ1キロあたり5分台で

走り続けたい、とずっと思っていました。

これまで何度かチャレンジしたものの、なかなか30キロで1キロあたり

6分を切ることはできず、今回は練習量だけはたくさん稼いでいたので

密かに狙っていました。

スタートから5キロ

スタートは密を避けるために小グループに別れて2分ごとの

ウェーブスタート。

いつもはペースメーカーがいて、フルマラソンの目標タイムの

グループごとにペースメーカーの周りに人が集まりますが、

今回はそのようなことはありません。

8時から2分毎に男性グループが一通りスタートを終え、(7組)

女性だけのグループ(1組だけでした)のスタートは

8時16分。

たまたま、整列のときに一番前にいたために、号砲が鳴ると同時に

先頭切って走ることになりました。

やはり先頭を取る人たちはどうやら強者揃い(私は偶然紛れ込んでしまった)。

かなりのハイスピードで集団が進みます。

最初飛ばして後半失速するのは困るので

追いかけることはしませんでしたが、

やはりつられてそれなりにハイスピードになっていたようです。

5キロまではだいたい5分30秒のペース。

この「貯金」がどこまで持つか、まあ、行けるところまで

いこう、という気持ちでマイペースよりやや早めの走りになりました。

5キロから10キロ

今日のコースは、5キロの往復路(10キロ)を3周でした。

小さなアップダウンが合計4箇所。

リズムを崩さない程度に

勢いよく駆け下り、駆け下りる(3箇所)、

駆け上がり(土手に登る)、駆け下りる(土手から川沿いに戻る)(1箇所)です。

5キロで折り返すと身体も乗ってきて、いいペースで走り続けることが

できました。

10キロから15キロ

10キロで1周です。いよいよ中盤。

私は中盤で嫌気がさしてだれることが多いので、ここは

「粘るぞ」と覚悟して走りました。

集中を切らさないように、前の人の腰から下を見続けて。

ちょうど同じぐらいのペースで私の前を走る女性がいたので、

その人についていく感じで走り続けます。

おかげで15キロの折り返しまではかなりいい感じで

笑顔で折り返すことができました。

15キロから20キロ

朝から天気が良く、コースにかかっていた、

上を走る高速道路の影がどんどん短くなり、気温があがって

きました。

エイドはアクエリアスと水の2種類のペットボトル。

15キロすぎのエイドで水をもらい、走りながら太腿、肩、首筋にかけて

アイシング。体を冷やしながら走ります。

体温が上がりすぎるとばてるからです。

それでもすこしずつ疲れがたまってきました。

20キロ直前のエイドで、アミノバイタルをもらいます。

一つは念のために持参していてポケットにはいっていましたが

予備としてとっておき、エイドからもらったものを20キロすぎで

一気に口にいれました。あと10キロです。

20キロから25キロ

ランニングアプリを立ち上げて1キロごとのペースを聞いていたのですが、

残念なことに23キロでブルートゥースのイヤホンの電池切れ。あとは、自分の

感覚で走るしかなくなりました。

私の前をずっと走っていた女性もそろそろ失速気味。

静かに追い抜きました。

そしてまた、先を走っていた男性たちのうち

バテバテのランナーをひとり、またひとりと抜いていきます。

後ろから抜かれる、ということはこのぐらいまで来ると

ほとんどなくなりました。

25キロからゴール

待ちに待った最後の折り返しを過ぎ、

終盤です。スピードは落ちてきていましたが、

とにかく歩かない、と決意し、一歩でもゴールに近く、と

覚悟を決めて走ります。

この頃は、1キロすぎるたびにペットボトルの

スポーツドリンクを口にするようにしました。

エネルギーが枯渇すると足がつるからです。

実際、26キロあたりから、時々足がつりそうになり、

スピードを緩めたり、あるいは歩くと本当につってしまう、と

思ったので、「いま出る自分のベストのスピードで、しかも残りを

走り切る足を残す」という微妙なバランスを保ちながら

走り続けます。

終盤では「1キロってこんなに長かったっけ」と思うぐらい

次の1キロまでが遠かったです。

アプリでみると、29キロでのラップが一番遅くなっていました。

かなり辛かったのだと思います。

でも、最後の1キロは、最後に二人ほど男性を追い抜き、

少しラストスパートらしいことができました。

非常事態宣言から半年の練習

コロナ感染症の影響で4月に非常事態宣言が発令され、

在宅勤務が始まり通勤時間がなくなったおかげで走る時間ができました。

朝30分の瞑想、そして10キロのランニングを日課としました。

雨の日だけは靴が濡れるのがいやで走りませんでしたけど…

それでも長梅雨の間は、少し止んだ隙を狙って走り始め、

帰りに土砂降りの目に会うこともしばしば。

そうして走り続けていると

4月164キロ、5月264キロ(自己新記録)、6月267キロ(自己新記録)

そして7月は記録を狙って300キロ!

8月は猛暑で少し控えて243キロ、9月は230キロ、と距離だけは

走り込めました。

ランニングは苦手だった…

距離だけは、というのはなかなか自分一人ではスピード練習できないからです。

もともと亀ランナー(というか、走ることが子供の頃から大嫌いでした)で

自分が誰かを追い抜くとか、誰かの前を走るなんてことは皆無でした。

高校のマラソン大会でも、運動部(卓球部)に属しているくせに

後ろから数えた方が早かった。文化部の人にも負けてました。

大学でも基礎練習のランニングが大の苦手。逃げてばかりいました。

大人になって2キロ以上走り始めたのが50歳すぎ。

最初は1キロ8分ぐらいかかっていました。

自分の人生のなかで「早く走る」という言葉はなかったのです。

それが、友人の影響でマラソン大会に出始めて、

一人での練習に限界を感じてランニングクラブに入るようになって

やっと「早く走ろう」という意識もできてきて…

とはいえ、「密」を避けるためにこの半年は、クラブの練習もほとんど参加できていません。

ずっと「ぼっち(ひとりぼっち)」で走り続けてきました。

次のレースに向けて

多くの大会がコロナ感染症の影響を受け、中止になるなか、

来年の名古屋ウィメンズマラソンは開催予定だと耳にしました。

早速チャレンジ枠に申し込んでみました。

出走権が確保できればいいのですが。

一里塚…これが始まり

私にとって、30キロはほんの一里塚です。

フルマラソンの還暦過ぎ自己ベストを目指している身としては

1シーズン逃すたびに目標が遠のくので、

1年でも早く達成したい。

もちろん、その後もチャレンジは

続けますが、自然の流れにはそうそう逆えるものではありません。

「コロナ」という、私にとっては「練習がたくさんできる」状況を

プラスにとらえ、日々精進していきます。

その一里塚の30キロ、自己ベストの2時間56分11秒という記録は

「まだ、自分をあきらめない」という勇気をくれました。

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この記事を書いた人

大野 清美

大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)