ついに達成!なんと24分短縮の4時間14分50秒
レース振り返り
コンディション
3月14日(日)快晴
風は最大8−9メートル、ビル風強し。最低気温6° 最高気温14°
風がつらいレースでした。特にビルの影に入った時に
進まない。だらだら上りがある最後の10キロは足があがっていませんでした。
その4時間14分50秒を振り返ってみましょう。
5キロごとのラップと補給
- 1-5キロ 27分07秒 スポドリ(出発前、8時半にバナナ1本)
- 5-10キロ 26分45秒 メダリスト(アリストメダリスト・アミノダイレクト)
- 10-15キロ 28分24秒 スポドリ 1分歩き
- 15-20キロ 29分08秒 アミノバイタル
- 20-25キロ 29分37秒 ツレナイ(そろそろ、足がつりそうになってきたので漢方薬です)1分歩き
- 25-30キロ 31分34秒 メダリスト(ふくろを開けることができず、2分ほどロス)
- 30-35キロ 32分17秒 スポドリ
- 35−40キロ 34分16秒 メダリスト
- 40-ゴール 15分42秒 スポドリ
30キロすぎでキロ6分をすぎたのが残念。すべて30分以内でいければ
密かな目標のサブ4が達成できたのだけれど…
1キロ平均6分3秒になってしまいました。
前半は確かに調子がよかった。しかし、30キロすぎでは目に見えて減速。
エイドはほとんどなかった。せめてアンパンか、バナナが欲しかったけど、
袋入りのお菓子しかダメなんですよね。
(名古屋名物「ういろう」もあったんだけど、
ごめんなさい。私、苦手なんです)
応援
ああ、本当にもう応援がどんなに力になるか、今回も
思い知りました。
私は、地元では「マラソン完走クラブ」、
そして職場近くでは「よっしーランニングクラブ」というふたつの
ランニングクラブに入っています。
その「よっしーランニングクラブ」の3人の男性がわざわざ東京から
応援に。コロナのため、声援は出せないけれど、そこにいてくれるだけで
「次に会えるまで頑張ろう」「応援の前で恥ずかしい走りはできない」
という気持ちで「下がってきた腰」も持ち上げようとします。
人が人を元気にする、応援=エールって本当に力を与えてくれるエネルギーです。
この一年の道のり
コロナで走り込み
コロナ禍で、在宅勤務になったのをいい機会とばかり
- 2020年10月開催の東京30Kでは2時間56分11秒、と3時間切り
- 11月15日の10キロ走では52分43秒
- 12月27日の横浜鶴見川マラソン大会では1時間55分26秒
- 2021年1月30日の北区荒川マラソン大会のハーフは1時間56秒31秒。
レース直前におこった足の痛み
順調に準備していたはずでしたが、
1月の走行距離が300キロを超えた2月初旬。
まず、左足のかかとに痛みが発生。
何日か、走るたびに痛く、でも歩くには不自由がない。
「少し練習し過ぎた」と思い、走る距離を控えて「歩き」に変えました。
幸い、しばらくして痛みはひきました。
ところが、2月21日、「マラソン完走クラブ」でのインターバル練習
300メートル15本、2分半インターバルの7本目、右足の中足骨あたりに
ピキーン、という感じの痛み。「あ、まずい!」と思いましたが
「うーん」なんとかなるか?とそのまま続け、その日はクーリングダウンして練習を終えました。
またしばらく、走るのは控えめにして歩き主体の1週間。
そして2月28日の日曜日、久しぶりに10キロ走ってみました。
やはり、捻挫のように痛い。
ついに、決心して3月1日、整体に行きました。
「かなり疲れてますねー」これが整体師の方の最初の一言でした。
仕上げの2週間
整体院では、「2週間で痛みなくフルマラソンを走れるようにしてください」
とお願いしました。
いろいろ、ツボを押さえてくれて「ひいいい!」となりましたが、
無理をしているところがわかり、本当に2週間で痛みをほとんど感じることが
ないぐらいになったのです。
体の疲れと歪みを補正してくれて、気持ちよく本番を迎えることができました。
練習のしすぎとか、とにかく前に進むことばかりを考えていましたが、
立ち止まって「体を休めること」も練習だ、と初めて気づいた出来事でした。
もうしばらく整体に通うことでこれまで何十年と悩んでいた「猫背」を直し、
体を整えてよりパフォーマンスのいい走りにしていきたいと思っています。
次の目標
レースがおわったばかりですが、
すでに次の目標をサブ4と決め、練習を始めています(いまは疲労抜き主体ですが)。
55歳で4時間半、そして還暦過ぎてサブ4なんて、
野心的で素敵な目標と思いませんか?
さあ、どこまでできるか、また新たな挑戦です。
大会前日にいただいたひつまぶし、美味しかったです!!