乳がんとの日々(3)手術から放射線治療までの間 束の間の豪華なお楽しみ

2014年7月10日〜8月11日以前 手術から放射線治療までの間

手術が終わり、退院後翌日から職場復帰しました。毎年手がけている大きなイベント、サマープログラムの運営責任者であり、また、手術も簡単だったので当たり前のように職場に戻りました。さらに退院後の週末にはライディングスクールに参加、ここでも1日中のレッスンを頑張りました。

サマープログラムは週末を挟んで2週間弱の日程で実施されます。週末には炎天の都内を1日かけてイベント参加者と歩き回る、東京ツアーがあります。職場の若手ボランティアの協力を得て実施している東京ツアーは昨年9回目。ここしばらくは、忙しいこともあり、また、終日歩き回ることがつらくもあったので全日参加できていなかったイベントですが、マラソン練習で体力がついたこと、そして、今回のがん診断で「いつまで出来るかわからないからこそ、全力で最後までやりきろう」という心境になったことから、レインボーブリッジを歩いて渡るなどのかなりタフな行程を含むこのイベントも最後の居酒屋まで通しで参加しました。
下の写真は、レインボーブリッジに向かう途中、お台場海浜公園あたりの景色です

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7月23日、手術で採取した病理検査の結果を聞くことと術後経過の観察、次の治療方針の説明を受けるために病院を訪れました。その時に受けた説明は意外なものでした。
病理検査の結果、がんの種類は悪性度の高い「浸潤性微少乳頭癌」というタイプのものだったのです。そのため、当初予定では5週間だった放射線治療を6週間に延ばし、さらに抗がん剤治療をする、と主治医は言います。まったく想定外でした。

自分が「抗がん剤治療」の対象になるなど、思ってもいませんでした。大阪マラソンに向けての練習もし、放射線治療さえ乗り切れば、何とか出場できる、と思っていた矢先の告知でした。
「まあ、ゆっくり考えてください」との先生の言葉があり、その日は歯科の定期検診、そしていつものように皇居での練習をこなし、帰宅しました。夫にメールで連絡するなどのこともせず、いつも通り帰宅してから告げました。

とはいえ、身体は元気だし、運営責任として手がけているサマープログラムが終わったら、夏休みを楽しめます。7月26-27日には那須高原へのツーリング、翌週には次男出産後お世話になっているお婿さんの実家に長女や孫を訪ねて岡崎に、そして、勝間和代さんの声がけで船の上で楽しむ「洋上麻雀」という企画にも参加。クルーズ船の上で船酔いと闘いながら麻雀したり、酔い醒ましに船から海に出て泳いだり、という稀有な経験も楽しみました。

ここから出航!
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遊びながらも、治療計画は粛々と進みます。8月4日、月曜日には放射線科で診察。放射線を照射する位置決めをします。でも、放射線の先生も「予定があるならそれをすませてからでいいですよ。楽しんでらっしゃい」とおっしゃるので8月7日から10日にかけては青森の田舎館村の田んぼアートを観に行く1,200キロのロングツーリングを敢行しました。ずっと天気が悪く、帰りは台風の中、首都高を風に煽られながら這々の体で帰宅しました。がんよりも事故で死ぬかも、というぐらい恐ろしいコンディションでした。

でも、すばらしい田んぼアート、感動しました!!
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放射線治療の開始は8月11日です。

(続く)

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)