抗がん剤治療と運動:マラソン完走記(20)副作用

このシリーズは、乳がん告知から8ヶ月、抗がん剤を打ちながら東京マラソンを走りきった記録で、40話になります。やっと折り返しです。

1. 元気すぎる入院患者

さて、入院中は元気すぎるほどの「患者」でした。

正確には患者ではありません。乳がん手術は2014年7月。たまたま乳がんの細胞タイプが浸潤性微少乳頭癌という「顔つきの悪い」がんだったので、術後補助療法をすることになりました。

再発のリスクを半減させるという術後補助療法。

がんの三大療法は、手術、放射線、抗がん剤の3つですが、そのすべてをやろうということ。

8月から9月にかけて6週間の放射線治療を受けました。

そして、最後は抗がん剤。術後補助療法を受けているだけなので、本当に「念のため」

体調を見るための入院は5日間。さすがに病院を抜け出してランニングには行きませんでしたが、部屋では勉強したり踊ったり。お見舞いもきて頂きましたが、元気すぎて…お見舞いにきていただくのが気の毒なぐらい。

主治医のM医師が回診に見えたときも
「どうですかー」(医師)
「なんともありません」(私)
「そんなもんですー」(医師)

そんな会話でした。

退院は11月10日(月)。5日間の入院でした。私の部屋↓ 5日間お世話になりました…

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2. 大腸内視鏡検査の結果

退院前に、人間ドックで見つかった便潜血に対する精密検査である大腸内視鏡検査の結果を消化器外科に聞きに行きました。

無事、「問題なし」の診断をいただき、安心しました。
最近の検査はとても精巧に調べることができるため、歯茎から出血していたり、痔があったりしても便潜血が出るようです。

原因はわかりませんが、とりあえず懸念事項のひとつは解消しました。よかった…

3. 自ら祝う退院祝い

退院後、迎えにきてくれていた次女、三女と一緒に渋谷に出て西武デパートのお寿司やさんに行きました。退院祝いです。

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ただ、そのときには、何となく違和感がありました。なんか美味しくない…というか、味がしない…

退院翌日は朝から7.5キロのランニング。普段、練習は3日以上は間を空けないようにしていました。入院で1週間あいてしまったので、「練習再開」です。

翌日、火曜日から出勤。なんとなくだるい…それでも出勤を続け、週末、金曜日の夕方は外勤でした。その頃には熱が出始めていたようで、業者さんとの打ち合わせ時には「かなりしんどい」状態になっていました。

15日、土曜日。少しずつでき始めていた口内炎が急激に悪化。ご飯が食べられなくなってきました。子どもたちと一緒に近所の「大戸屋」にランチに出かけたのですが…

口の中が痛くておじやが食べられない…

時間をかけてゆっくりゆっくり食べました。

4. ついに発熱

その夜からははっきり抗がん剤の影響がでて、発熱、口内炎悪化。
日曜日。起きられません。

秋口から勉強を続けていたCFP試験の当日でした。もう、起きる気力も湧いてこない。
せっかく勉強したのに…試験を申し込んで「敵前逃亡」したのは人生2度目(最初は大学受験の「国立二期試験」お腹痛くて受験できませんでした。その年は結局浪人…)の出来事でした。

食欲減退。味覚障害が出てきました。自分の記録によると熱は13日木曜日から4日間、週が明けて月曜日に病院に駆け込むまで続きました。

5. いまさらながら副作用についてググる

日曜日は一日中起きられず、部屋を暗くして、布団の中でひたすらスマホで「乳がん、抗がん剤、副作用」を検索し、経験者のブログを読んでいました。

やはり、不安なのです。そして、そんな時、同じ経験をした人の体験談がどれだけ励み、参考になるかを実感しました。

抗がん剤が私の体中の細胞に取り憑いて、猛攻撃をかけていました…

 

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)