あきらめない
「抗がん剤に負けない身体を作る」と思いながらも、1回目の治療ですっかり副作用にノックアウトされてしまいました。
でも、ここであきらめたりしません。
東京マラソンのスタートラインに立つ、この決意は変わりませんでした。
知らなかった世界
私は2014年に東京マラソンで初フルマラソンを走りました。
だいたい、マラソンなんて、自分の人生にはまったく「ない世界」でした。
2013年秋に当選、それまでに人生のうちで走った最長距離は10キロ。
経験者に練習プログラムを作ってもらい、4ヶ月でフルマラソンを走れる身体にしました。
2度目の当選、練習計画
奇跡のように当選した2015年のマラソン。2014年の経験が活きました。
その時の練習量をもとに、11月、12月、1月の練習量を組み立てました。
月間練習量目標は、10月150キロ、11月150キロ、12月200キロ、1月200キロぐらい。特に1月には200キロ走りたいと思っていました。
10月は大阪マラソンを含めて170キロ走行…うまく行きました。
そして11月。入院と副作用で結局月間45キロしか走れませんでした。
マラソンに奇跡はありません。
地道な練習、走れる身体作り、ひとつひとつを積み重ねて、仕上げが本番、だと思っています。
たとえ決意は変わらなくても、
あと二ヶ月で身体を作れるか、不安がもたげてきました。
副作用に備える
次の抗がん剤では決して発熱してはならない。
マスク、暖かい衣服、十分な睡眠、うがい、職場ではお昼休みに昼寝、ビタミンB、思いつく限り、できることはすべてしました。
それまでは平日、仕事後に週に2-3回は色々な勉強会に出席していましたが、週に1度程度に制限するようにしました。
このころ、三女が「髪のない」私のランニング用にキャップを買ってくれました。
夜明け前を走る。この頃は、走り始めは夜明け前です。