抗がん剤治療と運動:抗がん剤治療をしながらマラソンを走りきった記録(22) 本番3ヶ月前の練習

あきらめない

「抗がん剤に負けない身体を作る」と思いながらも、1回目の治療ですっかり副作用にノックアウトされてしまいました。

でも、ここであきらめたりしません。

東京マラソンのスタートラインに立つ、この決意は変わりませんでした。

知らなかった世界

私は2014年に東京マラソンで初フルマラソンを走りました。

だいたい、マラソンなんて、自分の人生にはまったく「ない世界」でした。

2013年秋に当選、それまでに人生のうちで走った最長距離は10キロ。

経験者に練習プログラムを作ってもらい、4ヶ月でフルマラソンを走れる身体にしました。

2度目の当選、練習計画

奇跡のように当選した2015年のマラソン。2014年の経験が活きました。

その時の練習量をもとに、11月、12月、1月の練習量を組み立てました。

月間練習量目標は、10月150キロ、11月150キロ、12月200キロ、1月200キロぐらい。特に1月には200キロ走りたいと思っていました。

10月は大阪マラソンを含めて170キロ走行…うまく行きました。

そして11月。入院と副作用で結局月間45キロしか走れませんでした。

マラソンに奇跡はありません。

地道な練習、走れる身体作り、ひとつひとつを積み重ねて、仕上げが本番、だと思っています。

たとえ決意は変わらなくても、

あと二ヶ月で身体を作れるか、不安がもたげてきました。

副作用に備える

次の抗がん剤では決して発熱してはならない。

マスク、暖かい衣服、十分な睡眠、うがい、職場ではお昼休みに昼寝、ビタミンB、思いつく限り、できることはすべてしました。

それまでは平日、仕事後に週に2-3回は色々な勉強会に出席していましたが、週に1度程度に制限するようにしました。

このころ、三女が「髪のない」私のランニング用にキャップを買ってくれました。

 

夜明け前を走る。この頃は、走り始めは夜明け前です。

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)