第1回金沢マラソンまであと10日 50歳からの振り返り

金沢マラソンまであと10日

金沢マラソンまであと10日である。2014年2月東京マラソンが初マラソン。4月かすみがうらマラソン、10月大阪マラソン、2015年2月再び東京マラソン。そして次が5回目の金沢。

短い間によくこれだけ走ったと自画自賛です。

大阪マラソンスタート地点↓

s21014.10.26大阪_n

記録は初マラソンのときが一番よくて4時間38分40秒。

かすみがうらマラソンは、東京マラソン後に気が抜けたのと、家族に一大事があったので練習があまりできなかった。

その後、2015年6月に乳がんが見つかって、手術、放射線や抗がん剤治療をしながらの練習。大阪、そして2回目の東京マラソンは完走できればそれだけで十分、そもそもスタートラインに立てるのかどうかさえ不安でした。

なぜ走るのか

新しく知り合いになった方々によく聞かれる。「なんで走っているのですか」「なぜ(その歳で)走り始めたのですか」

「嫌いだったから」と答えます。50歳を過ぎて、もう人生半分以上やったのだから、いままでやらなかったことをやろうと思ったのです。

「好きなこと」だけやることに決めた人もいるだろうけど、自分は「達成感」を得たいという資質がとても強いので、苦手で避けてきたことをやってみよう、それが走ることでした。

2011年1月1日の日記

「もう昨年の話になってしまう。 (12月)30日、自分にとって未踏の8000メートルを走ったことは日記に書いた。31日、それ以上に未踏の境地を目指したくなった。

10000メートル。10キロ。(正確には10500メートル)駒沢公園5周。

5周走って追い抜いたのはたった一人、ほぼ80歳に近いであろうご高齢のおじさま。

追い抜かれたのは数知れず(いつもどおり)。 でも、走った!走れた!

最後の1周は自己ペースの15分を少し超えてしまったが、とにかく走りとおしたぞ。 また新しい世界が開けたと思う。やればできるぞ。」

これが生まれて初めて 10キロ走ったときの記録。その年、その後震災があった。放射線の影響を心配し、しばらく外で走ることが躊躇われ、走ることから少し遠ざかってしまった。

2011年秋、何か始めたくて経済評論家の勝間和代さんが始めた「勝間塾」に入った。

そこに「うな勝ランニングクラブ」というランニング部があった。聞くと皇居で走っているとか。10キロ走る自信はなかったが、11月ごろだったか、好奇心もあって仕事帰りに皇居の練習に参加してみた。

1周5キロの周回コースを2周。1周終わって少し休んだけど合計で10キロ走れた

それから時々練習に参加するようになった。

みんなで東京マラソンに応募しよう、というノリで初めて応募したのは翌年2012年、このときは落選。

しかし、その後も少しずつ練習を続けていた。2013年の応募で、東京マラソン初当選。2度目の応募で当たってしまった。

55歳からの初マラソン挑戦

2013年10月、本格的に月100キロを超える練習を始めた。55歳からのスタート。

ラン仲間の作ってくれた練習スケジュールを忠実に守った。そうしたら、4ヶ月でマラソンを完走できるようになった。

初マラソンの感動もまださめやらぬ2014年7月に乳がんが見つかりほぼ同時期に2回目の東京マラソン当選。手術、放射線治療、抗がん剤治療を進めながら練習を続けた。

2015年2月、2度目の東京マラソンも完走。治療は苦しかったけど、仲間がいて走り続けることができた。

写真は抗がん剤の点滴

s点滴

進化を信じる

初めて10キロ走った日から4年半。色々なことを乗り越えて、自分はまだ進化できると信じている。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)