還暦過ぎマラソンランナー練習日記(1) 私ってひょっとして…?

歴史

子供の頃から走るのが遅くて「走ること」はだいきらいだった

太らないために、という理由で運動することは好きだった。

なぜか水泳が得意で小学校の頃は大阪市で四位の記録をもっていた。

中学校では水泳部、でも夏しか練習がないのがつまらなくて

中3で憧れていた体操部に入った。

先生方は「受験の年に何してんねん」と言ったけど、

半年頑張って、平均台の上で前転できるようにまでなった。

足もほぼ180度開くようになった。

高校・大学では卓球部。

でも、ずーっと走るのは嫌いだった。

どの部活に入っても、走る練習はほとんどサボっていた。

50歳ー人生の半分をすぎて

人生の半分を過ぎた頃、

残りの半分で「今まででやっていて一番嫌いだったことを

一つだけやってみよう」と決めた。

それがランニングだった。

1人で走り始めた頃、東日本大震災がおきて

原発の恐怖で外で練習することがむずかしくなり、

挫折しかけた。

しかし、経済評論家・勝間和代さんが主宰する勝間塾にはいって

何と、「マラソン仲間」ができた。

最初は皇居2周、10キロだった。

1周目と2周目のあいだに休みをいれて、

マラソン好きな仲間に伴走してもらい、

10キロ走った。

それから、仲間に会いたさによく練習会に参加した。

みんなでマラソンに応募しよう!と盛り上がったり、

若い仲間と合宿したりして、すごく楽しくなった。

2014年東京マラソンに当選、初マラソン、初完走を果たした。

2015年、続けて東京マラソンに当選。でも2014年の初完走のあとに

乳がんが見つかって、2015年の東京マラソンは抗がん剤治療を受けながらだった。

それでも練習をつづけていたおかげで完走できた。

こうなると、やっぱりランニングは体に良さそうだという気がしてきた。

相変わらず走るのは嫌いだったけど。

東京2回、大阪、霞ヶ浦、富山、金沢、岡山、ホノルル、間寛平、はなもも、

名古屋2回、静岡、茂庭湖と、7年間で14回のフルマラソンを完走した。

コロナ禍となって

2020年、コロナ感染症のため、在宅勤務が主体となった。

それまで往復3時間の通勤(それがいやで職場近くに

拠点をおく「やめ主婦」生活4年していたが)から解放され、

4月以降は毎月200キロ以上走れるようになった。

ほぼ一年、毎月200キロ走っていたら、

かろうじて実施された今年3月の名古屋マラソンで

62歳にして55歳のときの自己ベストを24分も塗り替えるという記録(4時間14分)で

完走することができた。

こんなに続けていられるのは…

パンデミックで、どこにも出掛けられず運動といえば走ることぐらいしか

できなかった1年を走り続けることができたのは、

もしかしたら、もう自分は走ることがきらいなのではなく、

好きになっているのでは?????という疑問が湧いてくる。

と、いうわけで、また練習日記を書いて、これから先自分がどこまで

進化できるのか、試してみたいと思っている。

今日の練習 800メートル6本(大蔵陸上競技場@世田谷区)7分サイクル(マラソン完走クラブ主催練習会)17−19時天候曇り(1日の気温最低23度、最高27度)

  1. 3’54(分)
  2. 3’53
  3. 3’48
  4. 3’42
  5. 4’07
  6. 3’53

4本目に一番ピークを持ってくる、という意識で、

というコーチの指示だったので

以上のような結果。「出来そうにない」と思っていたけど、

結構きっちりコントロールできていた。

こうやって次のマラソンまで頑張ろう。

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この記事を書いた人

大野 清美

大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)