人生の変遷は驚きに満ちている!
2017年 やめ主婦の始まり
やめ主婦を始めたのが、私が58歳のとき、2017年7月
還暦自己ベストを目指して必死にマラソン練習をしていたのが
2018年から2019年。そうして、2020年3月の静岡マラソンを
目指していたときに…
コロナで2020年3月以降の大会は軒並み中止。
2020年4月ごろからは在宅勤務が始まった。
やめ主婦のおわり
2021年、「やめ主婦」は、「やめ主婦」をやめ、アパートは引き払って自宅に戻った。
自宅に戻ったとき、やめ主婦を始めた時には家にいた2人の娘は、
それぞれ2018年12月、2021年3月に結婚して家を出た。
やめ主婦がやめ主婦をやめたときには、夫と2人の生活が待っていた。
仕事人間だった夫もコロナ禍で在宅勤務。料理に目覚めた。
やめ主婦は、台所を夫に「譲渡」。本物のやめ主婦に
さらに近づいた。
コロナで断捨離
コロナで在宅が続き、家を整理した。在宅ワークがしやすいように、
子どもたちの勉強部屋だったスペースを整理。そして、
子供部屋も整理。
運動以外に趣味も必要と思って子どもたちが置いて行ったクラビノーバは
自分のそばに(ヤマト運輸の家具移動サービスを使って)運んだ。(3階にあったものを
2階に運んでもらったのだ)
子どもたちの学習机は、実家に送った。
自分の仕事部屋を確保、子供部屋は何も置かないようにしたら、気持ちいい空間ができた。
その部屋で、ラン仲間を呼んで飲み会もできた。
2022年のお正月にはこどもたちが入れ替わり立ち替わり配偶者と子どもを連れて里帰りしてくれた。
2017年に「自分の時間」が欲しくて職場近くで一人暮らし、
「超多忙」生活を、思い切って「やめた」ら、
時間、空間、そして人間関係、すべて
豊かな暮らしをできるようになったのだ。
実家の整理
また、実家の片付けもコロナで身動きとれなかった2020年には中断したが、
2021年、2022年には完了。2022年11月には実家を空っぽにして、賃貸することになった。
最後の片付けは、勝間塾の大阪仲間が大勢、ものすごく手伝ってくれた。
そうして、実家、そして自分の家のモノを減らしに減らしてみると…
今度は新しいモノが入ってきた。
新しいモノ、新しいヒトたち、そして新しい暮らし
2022年のお正月に帰省した三女。モノの少なくなった空間がすっかり気にいったようだ。
2021年3月に結婚した彼女たちは、「マンションの更新料払いたくなーい」とばかりに
更新後の住まいを考え始めていた。
そして、選んだのが狭いながらの我が家。
同居してもいいよ、という優しい婿さんを連れて2023年1月家に戻ってきた。
戻るに際して、私はさらに断捨離。
自分の作業場となっていたもと子どもたちの勉強部屋(6畳)の自分のものを
全部撤去。2021年に作った手作りスタンディングデスクは、メルカリで売りに出し、
引き取ってもらった。
3階の子供部屋も2人に明け渡し。
夫は、2020年から借りている事務所でほぼ1日をすごしているので、影響は少ない。
私は、リビングの片隅の窓際にカウンターをとりつけ、自作のデスクにした。
本などは、ほとんど電子化。どうしてもとっておきたい自分の著作などだけは夫の事務所に置いた。
ピアノ(クラビノーバ)は、またヤマトの家具移動サービスを使って今度はリビングに。
自分のそばに置いて、少し時間があれば弾くことができる距離にある。
三女たちとの同居が始まったのは2023年1月だった。
引っ越してきたばかりのときは、妊娠初期でつらそうだったけれど、
8月末に無事男児出産。5人暮らしになった。
あかちゃんのいる暮らし
三女夫婦はあかちゃん中心の暮らし。
婿殿は育休をとってくれた(現時点ではもう育休終了)。
2人で色々心配しつつ、楽しく育児をしている。
私の役割は、ちょっとしたあかちゃんの変化に
どきどきする新米両親に「だいじょうぶよー」というぐらい。
今時の育児は、ITの手助けもあり(ベッドの監視カメラ、おっぱい、
おしっこうんちなどの記録など)、いろいろ便利になったものだ。
手放すモノ、訪れるモノ
こうして振り返ると、
2017年、主婦を辞めてからの変化は大きかった。
コロナという外的要因もあるが(夫が料理人になったことなど)、
時には大きな変革をおこしてみるのも大事かもしれない。
この秋、施設に入って以来、元気ですごしてきた母が
入院した。
前向きな変化ではない。でも、なんとか母の晩年を
見守っていこう