遠距離介護の終焉 母の看取り(3) 通夜 娘たちが合流

すっかり寝坊の朝

12月12日(火曜日)

母が亡くなり、3日たった。

前日帰宅時に雨が降っていたので、

朝、あまり早くから走ることもないか、と思っていたら

目覚めたら7時。やはり、それなりに疲れていたのかな。

これから走り始めたら結構遅くなるなと思いながらも

走る。いつものカフェであさごはん。

母は、今日は朝からエンバーミング。お昼頃には、

「着替えて、お化粧して」棺に入っているという。

エンバーミングは化学処理なので、遺族は立ち会わない。

映画「おくりびと」では、遺族立会のもとで死化粧をしていたけれど。

また、義父もたちあわせてもらった。

お葬式もいろいろ進化していたり、場所・斎場によっても

方式が違う。

昼頃、長女が合流。一緒に天神橋商店街に昼食に行く。

今日も賑わっている。

食事から戻ると、次女も合流。

3人一緒に母に挨拶し、天神橋商店街で買ってきた「たい焼き」を

食べる。こどもたちとも久しぶりに会う。

お母さん、おかげでこどもたちに会えたよ。ありがとうね。

しばらくして、ズームなどの仕事を抱えているため、

ひとりだけホテルに滞在している夫が(どうやら、

ホテルの大浴場にはいりたい、が

主な理由のようだが)

母が一番好きだったお菓子、ゴーフルを買ってきてくれた。

通夜

ご住職と3年ぶりにお会いする。

母がご住職と会ったのは、2019年7月に施設に入る数ヶ月前だった。

ということは、ほぼ4年ぶりぐらいか。

お寺さんとのお付き合いはすっかりご無沙汰だけれど、

今回は母が熱心な檀家だったので、快くお勤めをひきうけてくださった。

通夜は17時予定、でも家族だけなのでいつでも

始められるということで、早めに始めた。

お焼香も4人だけ。

お経の長さもいい感じで、静かでよいお式だった。

夜は、また商店街で家族で居酒屋。夫は夜のミーティングのため

食事もそこそこにホテルに向かった。

母のアルバム

母は写真が好きだった。

アルバムがたくさんある。

一昨年に実家を整理したけれど、写真と母の趣味の着物は

まだたくさん残っている。

特に写真はすごい数。

いくつかを、こどもたちと楽しむために

出しておいた。

母の結婚式前からの写真、若い頃の写真…

分厚いアルバムに時系列はバラバラだけど

(アルバムの台紙の隙間に、時代の違う写真を

入れ込んであるので、20年ぐらいの時差のある

写真が入っていたりする)

長女・次女と、アルバムを繰り、母を偲ぶ。

本当に、いい時間になった。

趣味のフォークダンスで舞台にも出ていた母↓

七夕の母の願い↓

 

 

 

 

 

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)