相続登記顛末(2024年4月から義務化ーみなさんにも関係ありますよ!) その4 「郵送」その後の問い合わせ編

相続登記チャレンジ、すでに2ヶ月経過

最初に法務局に電話したときには、「平均5回来ますよ」と

言われた登記ですが、そんな時間はありません。

一回では、確かに済まなかったですが、できれば相談は2回ですませ、

早く郵送したい、という気になっていました。

さて、登記の作業は、

その1

その2

その3

を経て、次の行動です。

世田谷法務局への相談(相談2回目)

世田谷法務局へは、訂正した「申請書」(登記人住所変更と、

母の持分全部移転の申請です)

を持参、必要書類を添付して向かいました。

「私の住所は、このように変遷していますが、世田谷区の大野清美と

目黒区の大野清美は同一人物であります」と、言いました。

ここまでやったのですが、相談員の人は、それらの書類にはほとんど興味を示さず、

権利証を添付しなさい」と言うではありませんか!

えー、権利証を郵送(もちろん、書留)で送るの嫌だなあ、と思いました。

(持っていないわけでは、ありません)

でも、もし、途中でなくなったらどうしてくれるのでしょう?

相談員の人は、「(権利証は)コピーでいいですよ」と言ってくれたので、

とにかく、今度は貸金庫にしまってある

「権利証」(門外不出、だと思いませんか?)を出してきました。

権利証は、コピーをとり、大阪法務局に提出する封筒に同封。

また、世田谷区の相談員の人には、登録免許税の検算をしてもらい、

金額に間違いないことを確認し、収入印紙を購入し、とにかく3月29日(金曜日)までに

届くことを願って郵送しました(実際には、夫に水曜日に出してもらいました)。

書類不備についての電話がきた!

3月29日(年度末最終の営業日)までに到着することを願い、とにかく、

大阪法務局と天王寺出張所宛に、申請書と添付書類一式を同封した封筒を

両方とも書留郵便にて27日水曜日に発送。

それから、しばらくは音沙汰がありませんでした。

4月10日(水)郵送から2週間後 天王寺出張所ー母の住民票除票を求める電話

実は、あちらでもこちらでも母の住民票除票を求められたため、

天王寺出張所の書類には母の住民票除票を添付しなかったのです。

ぎりぎりの手配になったので、「どうせ、足りないときは何か連絡してくるだろう」と

思ってのことでした。

そして、案の定、電話がかかってきました。

でも、嬉しいことにその電話によって、「3月中の受付」であることが判明したのです。

早速母の「住民票除票」を大阪市に請求しましたが、今度は大阪市から電話がかかってきて、

請求者の私と母の関係を証明しないと母の住民票除票は出せない(他人でないことの証明が必要と言われた)

と、言われ、私の戸籍謄本、除籍謄本、父を筆頭とする戸籍謄本をファックスで大阪市に送りました

もう、書類がぐるぐる回っていますね!

あちこちに同じような書類を出さないで済むように、「相続ワンストップ」オフィスを作ってくれると

いいのですが。でも、それって司法書士さんのお仕事を奪うことになりますね。

司法書士さんがどんな仕事をされているのか、今回、よくわかりました。

やがて大阪市から母の住民票除票が届き、無事、天王寺出張所においては

すべての書類が整ったようです。

4月16日(火)郵送から3週間後 大阪法務局から権利証の原本を求める電話

次に、大阪法務局から電話がかかってきました。

その電話では、「権利証は原本で出してほしい」とのことでした。

あれー、世田谷法務局の相談員の人は「コピーでいい」と言ったのですが。

うーん、郵送したくはないけれど、送らないと手続きが進まない。

結局、ふたたび書留で権利証を提出しました!

でも、他に間違いはなかったようです。

あとは仕上げを…

これで「相続登記および登記人住所変更」もできるはず。

いやー書類を書き始めてほぼ4ヶ月。よく粘った、自分。

もちろん、夫の協力がめちゃくちゃ大きかった。

さて、「登記できましたよ」というお知らせが届くのはいつになるかしら?

その5 受け取り!に続きます。

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)