主婦を辞めて一人暮らし始めました(42) 罪悪感を抱えて生きてきた

毒を吐きます。

1. ずっと独りだった

夫はモーレツサラリーマンという言葉が普通に

似合う世代の最後尾辺りの年代か。

結婚することで私は親の「墓守り」として永遠の箱入りになるところから

すんでのことで免れたけれど

(両親は私をずっと手元に置いて養子を取るつもりだった)、

「働きマン」の妻として、「主婦で一人暮らし」だった。

私の父のように暴力こそ振るわないけれど

そもそも振るう肉体すら存在しなかった。

二度目の妊娠で流産した時も、私は入院した時と退院した時、

同じ服だった。長女は近所の人が預かってくれた。

病院は夫の職場のど真ん中にあったけれど。

三女が生まれて赤ん坊の時、乳腺炎で入院したけれど、

退院するときは独りで退院、病院帰りに(その日だけは夫が預けに行った)

長女・次女を保育園から引き取り、傘をさしながら次女はバギー、長女は歩きで

赤ん坊だった三女はやはりご近所で一日預かってくれていて、その子を引き取り、

三人抱えて官舎に戻り、いつものようにご飯を作って子供たちをお風呂に入れて

寝かしつけたりした。

そんな時ですら、夫は夜中まで帰宅しなかった。

ワンオペなんて言葉はまだなかったけれど、年がら年中ワンオペだった。

ある年、かろうじて取れた夏休み。八ヶ岳高原ロッジで夫は急な呼び出し。

その時は同僚がパワハラ上司のせいで倒れて入院、

危篤状態になったため仕方ない出社だったけれど

八ヶ岳に残された私と子供三人。

三女はおんぶ、次女は自転車の後ろ席、

長女は貸し自転車という「家族構成」で

高原道路を爽やかに駆け抜けたけれど、ワンオペで八ヶ岳高原…

涙がでてきた。

それ以外、日本にいた間、家族で一緒に夏休みをとった記憶がない。

(「今年は休めない」…なんてのが多かったな。

そうすると私は夫の実家や自分の実家に子供たちを一人で連れていく)

2. 華麗なる単身赴任生活

子供たちのお受験期。

広島、熊本に夫は単身赴任になった。

広島ではテニス、熊本では剣道を楽しんだようだ。

私は東京で相変わらずのワンオペ。

手はかからなくなっていたが、学校で忙しい子供たちが

家の片付けなどなかなか手がまわる訳でなく…

全員が散らかし放題の家となった。

当番を決めても守らない。

「誰かがやるだろう」という家事は、

要領のいい子だけがトクをする仕組みになってしまっていた。

時々帰る夫に(それでもパパは大好きで)言ってもらうのだけれど、

夫は子供たちにメール一本。当番の割り当てを決めるだけ。

誰一人守られない指示メールが夫から子供たちに虚しく送られるだけだった。

A子の割り当て〇〇、B子の割り当て△△、C子の割り当て✖️✖︎、以上。cc:ママ

3. 八つ当たり

清潔で片付いた家が好きな自分と

散らかし放題の子どもたち。

気にならないのだ。みんな夫に似ている。

彼も家が散らかっていても平気だから。たまに帰ってきても

隙間を見つけては子供たちと戯れている。

私のストレスはたまる一方で、

そんな時、転勤族でママ友すらいない自分が当たる先は

子ども。

長女にも、次女にも、三女にも。

酷い言葉や叱責を投げつけたことがある。

特に次女はともすればなんとか自分だけは

家事をしないで済むように逃げ回る(ように私には見えた)ので、

「ずるい」と、余計ひどく当たった。

なんでも要領よくこなす長女に比べ、次女は長女の言葉を借りると

「3人の中で一番才能があるのに努力しない」。

私はその才能を見抜く力はなかったけれど、

努力しない(ように見せていたのかもしれない)ところは

ムカついた…

なのできつく叱った。

三女はそれを見ているから上手に立ち回った。

才能があると同時に一番感受性の強い次女はますます意固地になった。

悪循環だ。

叱ったぶん、自分には後悔や罪悪感がどんどん募ってしまう。

そう、楽しんでやっているわけではない。

子供に酷い言葉を投げつけながら、その切先は全て自分に向かってきていた。

しかも「言われた子供の悲しさ」が切先をますます尖らせて。

それが浄化される場所は家の中にはなかった。

4. 狡い

子供たちは穏やかで叱らないパパが大好きだ。

娘の時には参加しなかった育児でも

孫となると熱心である。

前おんぶで丸ノ内線に乗り、保育園送りまで協力する。

その100分の1でも私のために協力してくれていたら…

「育児は大変だよな」(はあ?)

次女も三女もお父さんが大好きである。

私のように怒鳴らないから。

傷つけるような言葉を投げつけないから。

肉体的・精神的な育児の苦労をワンオペでこなして限界まで

闘った私はもうボロボロで

しかも今になっても「あの時に傷ついた」と言われる。

(ならば早く家を出ればいいじゃない!と思う)

私は子供の頃自分に与えられなかった「生きていく上での自由」を

十分保障して子供たちを育てたはずだけれど、それが当たり前な彼女たちには

そのありがたさは当たり前過ぎて空気のようだ。

子供たちの「成功」(今となっては何が成功か、と思うけれど)を願うあまり、

「叱咤激励」が行き過ぎたことへの罪悪感を抱えつつ

そんな私の気持ちとは無縁でほのぼの父子関係を楽しむ夫は狡い、とつくづく思う。

5.まとめ

ちょっとしたことがきっかけで

家族の心の闇が見えてしまった。

なので、やめ主婦、かなりブラックモードである。

でも、ワンオペの大変さ、どーして誰一人わかってくれなかったかなあ…

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)