1年前、家族と住む都内の一軒家を出て
職場近くにアパートを借りた私ですが、
家族仲が悪くて家を出た、ということではないにしても
家族と住むことに苦しさを感じていたことも確かです。
1. 家族仲がいいという幻想?
私が職住接近を求めて家をでた2017年当時の家族構成は
夫と成人した娘2人の4人暮らしだったけれど、
成人した娘2人はそれぞれ一度転勤などの理由で家を離れ
数年して戻ってきた状態でした。
それぞれが独立したほうが良いのでは、と私は思っていたし、
人の「運命と宿命」を誕生日をもとに明らかにする
「算命学」でいつも私に適切なアドバイスをくれるMASAYOさん*も
「成人したお子さんがいつまでも家にいるのはちょっと…」と
言っていました。
算命学の言葉を借りれば私は「太陽」で、
「派手、きらびやかで激しい性質とその反対の面を持ち合わせる」
…確かにアップダウンが激しい。
一方、子どもたちはどちらも「灯火、月、星」で、
「暗いところや時代に輝き、人を惹きつける」
MASAYOさんは、「太陽がいると、月が輝けないです。
できるだけ早いうちに離れたほうがいいですね」とおっしゃっていました。
その言葉が長い間引っかかっていて、
一人暮らしのきっかけとして「時間が欲しい」という気持ちが強かったのは
事実ですが、
それ以上に、多分外からは何も問題ないように見えるけれど
実は一触即発の危機をはらんでいる家族の空気に
算命学でいう私の「穏やかでのんびりした性格に見られますが、
内面の神経は細かく繊細…」
という部分が耐えられなかった、というところもあります。
2. 家事に対する当事者意識の違い
私は散らかった状態がとにかく嫌いなのです。
さらに、主婦という当事者意識(家をキレイに保つのは
私の仕事であると責任感を持っている)
があるため
私からすると、例えば「共通の場所」である
リビングに家族それぞれがさまざまな物を置いていることが耐えられない。
整理したり、それぞれモノをそれぞれの人の机などのスペースに戻します。
それは、逆に家族からすれば
「なんで人のものを勝手に触るのか(捨てるのか)」
というぶつかり合いになるのですが
(触られたり、捨てられたりした方は、「一方的に傷ついた」気分になる)
私にすれば
「共通の場所をキレイにしてくれない」ことに
ザクザクに傷ついていた、のです。
私にすれば「リビングは物置ではない」
そしてそれぞれが自分だけが我慢している、という気持ちを
お互いに態度や空気に出していた、と思います。
食事の支度も
私からすると、すでに数十年、家族のために作り尽くした、
みんなもう大人なのだから、いい加減「勘弁してよ」と思っていたのです。
しかし、いつの間にか子供達の間では
「早く帰った人が食事の支度をする(!?)」というルールになっていたらしく、
私が何もしないでいると不機嫌なのです。
「先に帰ったくせに何もしていない」と。
そんなルール、私は同意した覚えはありません。
そもそも子供達が一旦家を離れて私は夫と2人の生活に戻り、
夫の帰りが遅いのをいいことに、私は自由な時間を過ごしていたのです。
少なくとも彼らが戻ってくるまでは。
これまで1人で十分頑張った
もう解放してくれてもいいんじゃない?と思っていました。
3. ワンオペ育児を思い出して悔しさで眠れなくなった夜
同居する娘、あるいは娘たちが私の「自由な」(傲慢、とまで言っていたけど)
立ち居振る舞い(とは言え、ご飯作らなかっただけで、
他の家事は誰よりもやっている)に
不満を抱いているようなことを言ったり、感じたりして
そのくせ
ほとんど家事育児に関与してこなかった夫について
子供達が「パパは好き」と言っていることを耳にしたり
目にしたりして
頭がクラクラするほど
腹立たしく、悔しい思いをしました。
あまりに悔しかったので黙っていられず、ある夜、
やめ主婦の部屋から夫に電話をしました。
夫はその時子供達と自分も好きな映画「ジュラシックパーク」を
レンタルして持ち帰り、
それこそ私を除く家族3人で(散らかったままの)リビングで
「家族で楽しく」観ていたそうです。
一体、これまで誰が飴と鞭の「鞭ばっかりやってきてんねん!」と
叫びたいほどの気分でした。
考えたら、結婚して以来この36年間というもの、特に夫が霞ヶ関勤めの頃は
毎日深夜労働の夫との生活は、家族旅行もなく、
夫は子供達が起きている時間に帰宅することも
平日に一緒に食事をすることも
私が入院しようが、子供が熱を出そうが、
決して職場を休むことがない。
私はひたすらワンオペ。
私がキャリアや経験を積むことについて決して反対はしなかったけれど、
物理的な協力は一切ありませんでした…
ところが、孫が生まれたら前おんぶして保育園の送り迎えなど熱心に
やるようになったのだからわからないものです。
転職して時間の自由が効くようになったとはいえ
その100分の1でも私に育児協力をしてくれていたら
もう少し余裕のある気持ちで悩んだり叱ることも少なく育児もできたのに、と
悔しさばかりが込み上げてきました。
一緒に育児してくれたり、あるいは普段は忙しくとも休暇をきちんととって
家族旅行に連れて行ってくれる夫を持ったご近所の奥様方を
ただひたすら指をくわえて見ていた日々を思い出し、
子供とうまくいかない(もちろん私が悪いところはいっぱいあって)
自分を責める気持ちと相まって
愚痴が止まりませんでした。
4. まとめ たまには夫婦で長電話
夫とは電話で深夜にかけて1時間半も話しました。
もともと、ただ仕事に邁進する人、ただそれだけで
私のことが見えていなかった。
自分の娘がワンオペするのを見て
「育児は大変だなあ」とやっとわかったような人なのです。
基本的に優しい人なので「ごめんね」とは言ってくれましたが
(まあ、それが一番丸く収まるということも知り尽くしての
セリフだとは思います。過去を変えることはできませんし)、
それでも、ただひたすら聞いてくれたことが救いになりました。
私が家にいたらわざわざ夫に電話することもなかったし、
顔を見ないで話すことで今まで言えなかったことも
言えたような気がします。
夫婦だけれど、少し離れて暮らす私たちが
電話というクラシックな方法で
久しぶりに長くお話しした
ある夜の出来事でした。
*Masayoさんの算命学に関する記事はこちら↓