【ブックレビュー】英語公用語論登場から10年を経て:グローバル人材育成における英語教育、英語学習アドバイザーとしてなすべきことは?

本原稿は、英語学習アドバイザー資格取得の課題の1つ

グローバル人材育成における英語教育

というトピックで課題図書を読んで書いたものである。

「英語公用語論」は、1999年に登場した。それから20年、このときに

巻き起こった論争以降の現状を追ってみた。

選択した図書は以下の3冊である。

1) 英語が社内公用語になっても怖くない グローバルイングリッシュ宣言! 船川 淳志著 講談社(2011)

2) 「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21) 鳥飼玖美子著 角川書店(2010)

3) 論争・英語が公用語になる日 (中公新書ラクレ)      鈴木義里(編集) 中央公論新社(2002)

これらを読み、以下の流れで考える。

  1. 英語公用語論の是非
  2. 公用語になったらどうなるか
  3. これからの英語教育

1. 英語公用語論の是非

英語を第2公用語にする、ということについては

21世紀の始まりに大論争がおこり、それから20年近く経った今、

この論争がなんであったのか、上記3冊の本を読み、振り返る機会を得た。

この論争のきっかけとなったのは、当時の内閣総理大臣・小渕恵三のもとに

1999年3月河合隼雄・国際日本文化研究センター所長を座長として

「21世紀における日本のあるべき姿を検討すること」を目的に設けられた

懇談会の最終報告書(2000年1月)第1章(総論)Ⅳ-1-(2)の

「情報技術を使いこなすことに加え、英語の実用能力を

日本人が身につけることが不可欠」という文言である。

そのなかで「長期的には英語を第二公用語とすることも視野に入ってくる」という

言葉があり、それが公用語論争に火をつけた。

この提言には様々な反論が寄せられ、たとえば渡辺昇一氏などは

「国家公務員の英語さえしっかりしてくれればあとは心配ない。

民間会社は戦前からその問題は解決しているのである。

…英語公用語か問題は、要するに高級官僚の英語問題と観るべき」(鈴木132頁)

などという極端な主張をしている。

そうした論争のなかで鈴木孝夫・慶応義塾大学名誉教授はこのように現状を述べている。

「現在は、英語を学ぶことそれ自体が目的化してしまっている…

しかし本当は「何を喋るのか」が重要なのです(鈴木-140頁)。

鈴木教授がここで提言しているのは、英語を公用語にする云々ではなく、

日本の英語教育そのものを「「発信型英語にする」ことである(鈴木-242頁)。

同感で、それまでの英語教育は、まさに受け身の「情報を受け取ること」を

重視した英語であった。

バブル崩壊後の元気のない日本の経済状況において、

確かに発することが苦手な日本人が元の元気を取り戻すには主張していく、

発信していくという流れは重要な転換であり、

また、公用語論争がおこったことは社会の中で

言語がいかに重要な役割を果たしているかという証左となった。

2. 公用語になったらどうなるか

こうした論争があったことを踏まえ、その約10年後に書かれた

鳥飼久美子氏の「「英語公用語」は何が問題か」を読んでみる。

鳥飼氏は大学在学中から同時通訳者として活躍し、英語を学ぶ人にとっては

知らない者がない存在である。

2010年6月、UNIQLOを展開するファーストリテイリングは

2012年3月から社内の公用語を英語にする、と発表し、

楽天もほぼ同じ頃英語を楽天グループの公用語とすると発表した。

鳥飼氏の懸念は、「(国の)命運をかけるような重要な場面では、…

プロに任せる方が安全だ。日本の首相が英語で交渉して

失敗した例はいくらでもある。」とあるように、

「英語ができる」程度で重要な決断を「自分の母語でない

言語に委ねてしまう」ことに対する懸念である。

本書のなかで鳥飼氏は、「外国語は「異文化への覗き窓」」にほかならない

(鳥飼44頁)と書いている。

しかし、私見ではあるが2019年の今となっては「覗き窓」ではすまない。

日本人は、窓の外へでていかないといけない、という状況にきていると感じている。

それが企業の「英語公用語化」の「嵐」なのである。

ところが公教育でバイリンガルが量産できるか、というと

なかなかそのようにはなっていない。

むしろ、「やってないと大変なことになる」という脅しや

「小学生から英語」と騒いで下手な教授法で習わせた結果、

「英語嫌い」を量産してしまったという現状がある。

そこで鳥飼氏が主張するのは本人たちが必要な英語力を

「仕分けする」という自己判断に委ねることだ。

一度しかない人生、英語ができないなら転職をするという

選択肢もある、とまで言う(鳥飼86頁)。

その上で、それでも英語を学ぶならば「読み」、「書き」、をしっかりし、

「自律的」に学ぶことが大事(鳥飼117 頁)であると説く。

しかし、英語だけできればいい、ということにはならない。

英語を通じて、かつ、あるいは仕事を通じて

自己実現をめざすことが生きるのに大事なことであると述べている。

3. これからの英語教育

こうした流れを受けて2011年に出版された船川淳志氏の本を読む。

氏は「英語を身につけない自由もある」(船川65頁)と述べながらも、

やはり英語ができたほうがいい、そしてやるなら喜びながらやろうと主張する。

中学卒業程度の英文法は必須(これでさえなかなか困難な

「英語嫌い」もたくさんいるなか)、で、それ以上になることも可能と鼓舞する。

船川氏の描く実践方法やアドバイスは本人に上昇志向があり、通常以上の

熱心さで取り組んでいた成果であり、

「こんなうまくいくものか」と感じたりするけれど、

要は楽しんでどんどんインプットアウトプットしていくこと、

そして人間力を鍛えること、と経験論と楽観論に展開する。

氏のいうようにステップを駆け上がったりするのはなかなか

「中学英語でつまづいた人」には難しいが

「怖がらない」ことは大事だと同意する。

ビジネスの公用語はとっくに英語であり、アメリカン・イングリッシュでもなく、

クィーンズ・イングリッシュでもない。

グローバル・イングリッシュを使えればいい、

「いつまでたってもネイティヴにはなれない」という恐れを持たず、

適切な単語を単に知っているか知らないかで言葉を詰まらせるのではなく

「発音より発言」「文法より論法」で

世界に切り込んで行くことを奨励している。

氏の本ではレベルゼロはTOEIC600点から始まっているので

まずは英語嫌いから脱却する、ということが課題であるが。

4. まとめ

英語を「第2公用語」にするかどうかの議論はもう必要ない。

英語ができない人が今後職業選択で制限がかかってくることは

世界の情勢をみてもあきらかである。

ただ、高度な英語(抽象的な議論ができる)が全員に必要かというと

必ずしもそういうわけではない。片言でもできればいい職業もある。

それだけでも、まったくできないより可能性は広がる。

デジタルディバイドと同じように、おそらく英語力の2極分化が今後進んでいく、

と多くの人と同じく私も思う。

要は生きていく上でより自分が豊かに、満足できる場所にどうやってたどりつくか、

英語を学ぶかどうかはその選択なのである。

必要ないと思うならば必要ないところで輝けばいい。

鳥飼氏は「たまたま」英語ができた、と謙虚な言い方をするけれど、

今や世界共通語となっている英語はできるに越したことはない。

発言できる英語を獲得していくことはこれまであまり自己主張できなかった

日本人がより強くたくましく生きていくことができる、

そのためのツールなのである。

英語学習アドバイザーとして、たまたまの邂逅で出会った人に

より遠くへ飛んでいける翼の動かし方を教えることができるなら、

これ以上の喜びはない。

アドバイザーとして日々をもっと英語の研鑽に使っていきたい。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)