心の成長 返報性の法則(原理)ー最近思うことー

最近自分に言い聞かせているのは、「返報性」という言葉

「自分がやられて嫌だったことは人にやらない。自分がやってもらって嬉しかったことは、他の人にもやる」

これを自分の返報性の法則にしようと思っています。

20数年ぶりのママ友との再会。今介護友

最近、子どもが幼児だったころのママ友(当時はこんな言葉なかったなあ)と20数年ぶりに会いました。

私の職場と彼女の家が近いということは、年賀状を交換し続けていたことで知ってはいたけれど、彼女のメールアドレスがわからない。

会うには手紙かなあと、ちょっと面倒に思っていたところ、Facebookで私を見つけてくれたのです。

Facebookは、プライバシー範囲をずっと友だちのみにしていたのですが、最近は内容によっては公開にしています。

そのときに見つけてくれたのでしょうか?そして私のブログも読んでくれていました。

というわけで、とにかく連絡がきました。すぐに会合をセットします。2週間以内の都合のいい日を数日提示。最近は、会いたい人にはすぐに会うことにしています。「そのうち」は、なしです。

育児で共に悩んだり、育て合ったり(もっぱらお世話になっていた)していたママ友は、今となっては「介護友」です。

介護友とのかたらい

彼女は数年前から両親と同居しています。お父さんは目が不自由で、お母さんも色々不具合があります。

ただ、お二人とも食欲もあり、お口も達者。

私の方は母が難聴になってからはもう不安の固まりの人となり、介護とまではいかないにしても毎月実家を見舞わないといけない。

彼女はお母様によく叩かれたそうです。大人になっても。

そのことを、自分のお母様に言うと「あんたにしたことなんか、私が親にされたことの何分の一でもないわ!」と言い返されたそうです。

私の母は、祖母(姑)を晩年に引き取りました。「おばあちゃんは愚痴と泣き言ばっかりや!」とよく私にぼやいていました。

それを聞いた私は、楽観的にも心の中でこう思ったのですー「よかった。母は、そうならないのだ」

物事、そんな簡単には行きませんでした。

母は、祖母を反面教師とするどころか、加齢とともにその道まっしぐら。「歳を取っていいことなんかひとつもないわ!」と言い放ちます。

祖母にはこども(父のきょうだい)は数人いたから愚痴と泣き言の分散はあったと思いますが、私の場合は1人娘なので一点集中。「あんたに聞いてもらわんで誰にきいてもらうんや!」と開き直っています。

負の連鎖

彼女は、お母様に叩かれて育ったため、自分も子どもに手をだすこともあったそうです。でも、ある時、気づきました。

「この連鎖は自分が断ち切らないといけない」

その時から、彼女は子どもに手を出すことをやめました。しばらくして子どもたちもお母さんが変わったことに気づきます。

そのときに彼女は「今までごめんね」と謝ったそうです。お子さんたちはすでにそれぞれ独立し、お孫さんも生まれて、とてもかわいがっています。

確執のあったお母様、そしてお父様もいよいよ身体が不自由になり、家を購入するときに同居に踏み切ったそうです。

親は変わりようがないので彼女が自分のやりたいことで自ら楽しみ、幸せになることで解消していくしかない。

でも、その連鎖を断ち切ったことで彼女は気づかなかった場合の数倍充実した人生を送ることができたと思います。

私も母との付き合いではいつも激しいストレスを溜めていて、夫や友人に語ることで何とか自分と折り合いをつけようとしています。

確かに、夫や友人から見ると「愚痴と泣き言ばっかり」かもしれませんね。ただ、他人(夫婦であっても)なので客観的に見てくれます(アドバイスを求めているわけではないから)。

少なくともこどもに電話してまで愚痴るようにはなっていません。

母はほとんど毎日のように電話してくる頃もありました。今では電話も不自由なのであまり電話はありませんが、実家を訪問すると滞在中は機関銃の総攻撃を浴びている気分になります。

DVの父

子どもの頃から私は母のメンターでした。父が暴力を奮ったので。私は、母の涙と泣き言と夫や姑に対する悪口のなかで育ちました。

大変ありがたいことに夫にそんなところは全くありません。私自身は、そうした父の影響を受け、やはり子どもに厳しい、ときには厳しすぎる言葉を投げてしまったこともあります。今でも時々激しい後悔に苛まれます。

幸いこどもたちは優しい理性的な夫のおかげで、少なくともグレずに育ってくれたと思います。あとは、私が母からの『負の連鎖』を断ち切るときです。

夫や聞いてくれる友人に感謝しつつ、家族関係以外のところでも自分流の「返報性の法則」を実行していきたいと思うこのごろです。

20数年ぶりに友と再会して考えたことでした…

2016年3月

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)