【乳がん闘病記】告知から5年経ちましたー反抗的な患者のその後

告知・手術・放射線・抗がん剤治療から5年

あっという間の5年でした。

2014年6月に右乳房に乳がんの告知を受けて

7月に手術。

8月末から放射線治療を6週間

11月から抗がん剤治療を受け、ほぼ半年を乳がんと付き合いました。

5年経ち、幸い再発もなく、元気に過ごしています。

かつては5年すぎたら「完治」とか言われたとか…

最近はあまり完治とか、言わないそうです。

何年も経ってから再発する人もいるそうなので。

生活習慣病の怖さですね。

石灰化が見つかり、怖かった…

昨年末(2018年12月)には再び右乳房に「石灰化」が見つかり、

マンモトーム検査(乳房に針を刺して細胞をとる検査)をするなど、

肝を冷やす経験もしました。

石灰化は、良性であることが多いのですが、「がん細胞」の死骸とも言われ、

がんとの関連も否定できない症状なのです。

マンモグラフィ所見の石灰化とはカルシウムの沈着のことを意味します。石灰化は乳腺症や線維腺腫などの良性疾患でも認められます。しかし一部の石灰化は乳がんによるものです。このため石灰化の形状や分布などから乳がんの疑われる石灰化は精密検査の対象となります。

乳がんクリニックの説明より

主治医に検査結果を聴くまで、眠れない日がありました。

抗がん剤治療は辛かった。もし、再発したら今度はどういう治療を選択するべきか。

せっかく続いていた人参リンゴジュース生活は無駄だったのだろうか。

年に一度の断食合宿は効果がなかったのだろうか。

何より、主治医に処方されていた薬をきちんと取らなかったのがいけなかったのだろうか。

考えても仕方ないことがなんども頭に浮かんできました。

そして、「これで無事だったら、やっぱり怖い思いをするのは嫌だから

処方された薬は真面目に取ろう」と考え直しました。

実は、薬に関しては素直な患者ではなく、「ホルモン薬は嫌い!」と医師を困らせる

かなり「反抗的な」患者でした。

でも、このことがあって、やっと改心(?)しました…「飲まないで後悔するような事態に陥りたくない」

背に腹はかえられぬ、とでもいうのでしょうか。

乳がんと運動

毎年断食でお世話になる「ヒポクラティックサナトリウム」の石原結實先生は、

毎年診察(年に一度、サナトリウムに行くと診察をしてくださいます)のたびに「ほお、

走ってますか。いいですねー」とおっしゃいます。

あるいは

米国対がん協会のレポートでも、

がんになってからの運動は再発防止に効果的だという研究結果が示されています。

また、こんな記事もあります。↓

「運動は最も有効性が証明された乳がん再発予防法」

様々な文献が運動を肯定していることもあり、

これからもマラソンを続け、チャレンジを

続けたいと思っています。

実は、マラソンほど激しい運動でなくてもいいのですが、私の性格上、明確な目標がないと

逆に運動が続かないため、あえて競技スポーツを選んでいます。

やはり心は揺れ動く

がんになってから、西洋医学の標準的治療はすべて受け、

また、漢方の先生でもある石原結實先生のサナトリウムに年に一度訪ね、

断食を行い、普段は運動を取り入れ、人参リンゴジュース生活を実践し、

あまりクヨクヨ悩まないようにする、

など、それなりに「備え」は実践しているつもりです。

しかし、ひとたび医師に「再検査」などと言われると、やはり

必要以上に心配してしまいます。

「せっかくここまでやっているのに」とか、「これ以上、何をすればいいのか」と、

絶望の気持ちが湧いてきます。

現代では、死の病ではなく、5年、10年生存率も高くなった乳がんですが、

やはり抗がん剤治療はつらかったし、髪がなくなる不自由さは半端ないものがありました。

自分のベストを尽くせない生活を送ることへの恐怖。

死、そのものよりも

死に至るプロセスが怖いのです。

まとめ

いつ、どんなことで死が訪れるか、それは本人にも、誰にもわかりません。

だからこそ、一日一日を大切に、充実して生きていきたいです。

告知から5年、生きました。

見守ってくださった皆様、ありがとうございます。

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この記事を書いた人

大野 清美

大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)