東京オリンピックボランティアー私は輝けたか?(7) あっけない別れ

PCR検査

大臣ももちろん、日本にいる間は、PCR検査をします。

そして、帰国する際、飛行機に乗るためにもPCR検査をするのですが、

その時には「陰性証明書」が必要なのです。

しかし、オリンピックで実施しているのは「陽性ならば連絡をする」という

検査で、証明書が出るわけではありません。

大臣は、「どこかのクリニック」で検査をするか、あるいは空港のクリニックに

前日までに予約した上でかなり早めに空港に到着し、「2時間でできる」という

検査をしないといけません(3万円ぐらいだそうです)。

さて、困った。

大臣は、ホテルとオリンピックの会場との行き来以外に「街にでること」を

許可されていないのです。

クリニックにも行けません。

どうやら、大臣のそのような検査については、大使館やその国のオリンピック委員会が

お世話をすることになっているようなのです。

でも、小さな国ではなかなかそこまで行き届きません。

そこで、ボランティアである私に「ホテルから」クリニックについていってあげてほしいという

要請がありました。

「自分とこのスタッフは割けないから、あなたならいつも一緒にいるでしょ。

(一緒にいるからコロナも大丈夫という意味かな?)

行ってあげてください!」と担当者の「上司」の方から電話で半ば「脅し」のような要請。

格式あるホテルとは思えないようなボランティアに対する圧力でした。

私も、そこまで脅されたら「上の者」に出てもらってなんとかしないといけないので

チームの担当職員の方にお任せしました。

結局、大使館がない私が担当した国の大臣は、その国のオリンピック委員会の方が

オリンピック車を手配し(私たちが使う車両より融通がきく)、ホテルから車で1分の

クリニックに行くことになりました。やはり自国内でなんとか手配しないといけないのですね。

コロナのせいで本当にいろいろ大変です。

唾液検査キット↓

国立競技場へ

T3車、今日は快調!

朝9時、大臣と待ち合わせ。

幸い、予約車は9時より前から待機してくれています。

水素車のMIRAIを予約してみました。小さいけれど、エコな車です。

大臣を後ろに乗せ、私は助手席に。

今日の運転手さんは女性でした。やはり慎重な運転で、官庁街を抜けていきます。

ナビは「最も安全な道」を選ぶようセットされていて、高速を使っての移動です。

「あちらが国会議事堂です!!」なんてガイドっぽいこともしたのですが、

あっという間に通過で、あまりご案内などできませんでした。

大臣を送り届けたあとは

さて、私は競技場に入れませんので、大臣をお送りしたあとは、

「自由時間」です。

五輪マークのところで自撮り写真を撮っている外国人(報道関係)を見かけ、

「お写真撮りますよ」と声掛け。

お返しに私も撮ってもらいました。

次にまた、別の五輪マークのところで自撮りの報道関係者(今度は日本人)、

こちらは動画で撮らせていただきました。

次にボランティアセンターに行き、ご飯を食べます。

お昼にはまだ早いですが、ランチタイムはとれないようなので

先に食べちゃいます。

ご飯が終わったら、競技場を一周しようと思い立ち、歩き始めました。

お弁当↓ お味はしょっぱめ。熱中症対策?

帰りの配車(オンデマンド手配)

大臣と待ち合わせをし、お話ししながら、ID,パスワードを事前に入力してあったT-TOSSシステムの

予約確定ボタンを押します。

炎天下、停車場まで二人で汗をかきかき歩きます。

せっかくなのでお国のお話をいろいろ伺いながら。

主な産業、政治家としての抱負、家族の話…

特に「家族がいちばんの財産だよね!」みたいな話で盛り上がりました。

政治家といえど、父であり、息子であり、兄であり…それぞれが

大事な人を幸せにしたい、自分の子どもだけでなく、若者の未来にとって

より良い国づくりをしたい、という気持ちで職務に邁進している様子を聞かせていただいて

心温まる思いがしました。

歩いているうちに停車場に到着。

大臣のアクレディテーションカードを係員に提示、チップを携帯で読み込んでもらい

(ここが「予約確定」のポイントであり、このシステムの最大の欠点)、

「準備完了」、幸い、車両がすでにその場にあったのですぐに乗ることができ、

大臣をお待たせしなくてすみました。ほっ!!

 

お見送りーあっけなく終わったボランティア

大臣の滞在は短く、たった3泊の滞在でした。

前の日に「明日もくるよね」と言われたので、せめてお見送りしようと

シフトではないのですがホテルに向かいました。

優しいお人柄で、お国の話も聞けていい思い出になりました。

まとめ

閉会式では、ボランティアの方も表舞台に立っていましたね。

私たちの代表として感謝されているのはとても嬉しかったです。

でも、まー、オリンピック期間中に味わった「用無し感覚」を

思い起こすと、まるで関係ない世界です。

同じ役割をしていた方が「オリンピックが嫌いになりそうです」と

ラインで伝えてきました。

オリンピック期間中を通して、何が悲しかったか、

というと自分の存在の軽さを実感することでした。

TOKYO 2020 Field Cast運営事務局からのアンケートには答えませんでした。

どうせ、「いい意見」しか、外部には出さないでしょう。悪い意見は握りつぶされます。

そして、私たちが生きている間にはもう2度とない機会なのだから、

「悪かったこと」をいろいろ並べ立てても先方には反省する気はないし、

改善は「次に活きることはない」。

私も、Field Cast 運営事務局も「次はない」のです。

下記のように、表面的な言葉だけのお詫びがありましたが

仲間であるはずの皆さん」とか今更言われても、

仲間ならこんなことしないでしょう。

「なお、一部の方について無観客決定後、突然の通知になったり、役割再決定後になかなかシフトが決まらない、届かない、メールの返事がない、など本当に多くの方にご心配・ご迷惑をおかけしたことと思います。混乱の中であったとは言え、仲間であるはずの皆さんを長い間不安な思いにさせてしまったこと、大変申し訳なく思っております。」

公益財団法人 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
TOKYO 2020 Field Cast運営事務局

 

こんな言葉をもらうために日々不快な思いを我慢して来たのか、

と思うと情けなくなるばかりです。

自分で選んだことだけど。

ま、でもやはり友人が言ったように、こうして記録を遺しておくことができました。

このブログは、せめてもの「アンケートへの回答」だし、やはりその世界に入ってみないと

わからないことなので、私なりの「何でも見てやろう」精神は十分満足できたのです。

ボランティアで「輝く」ことはできなかったけれど、「輝かしい」自分の未来を

作っていく糧のひとつとして活かしていこうと思います。

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この記事を書いた人

大野 清美

大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)