特別に特別な日ー清美の1日遅れ日記(71) 11月6日(日)ニューヨークマラソン走ったよ!

シャトルバスでスタテンアイランドへ

あまり寝た気がしなかったけど、ずっと横になっていたので

体は休めることができただろう。

4時半起き。

5時半には出発するつもりだったが、朝ごはんは食べないので

支度が早く済んだ。で、予定より早くホテルを出る。

正解だった。バス乗り場の近くには、もう長蛇の列。

結局バスに乗り込むまで1時間ぐらいかかった。

バスに乗ると、安心したのと、朝から1時間も並んで活動?したので

お腹が空いた。持参したおにぎり2個のうち1個とバナナを食べる。

水分は前の晩からOS-1入りの水。ウォーターローディングだ。

スタテンアイランドに着いたのが8時。バスを降りたら、男性が

数名、進行方向とは違うしげみに向かって走り出す。

え?なに?と思うと、数名が同じ行動にでる。なんと立って…

我慢できなかったのね。

セキュリティチェックがあり、もちものを差し出し、チェックゲートをくぐる。

なんだかわからないけど、あっちに行けと

指示される。ボディチェックを受ける。うーん、何がひっかかったのだろう。

Villageと呼ばれる広場に到着。

ベーグルとかドーナツを配るそうだけれど、

多分、余計なものを食べるとお腹が痛くなったりするので、

最後の一個の梅干しおにぎりを食べる。やっぱりおにぎり、美味しいなあ。

 

で、とにかく途中でトイレに行かなくてもいいように、トイレに。

ツアーガイドのいわおさんが「トイレットペーパーもっていったほうが

いいですよ」と言っていたけど、本当に正解だった。

男女の別はない。男性用便器も併設されているけれど、男性がそちらに

してくれているとは限らない。私が入るころには便座は濡れているし、ペーパーは

ない。とにかく、拭きまくって(ロールごと持っていった)、なんとか用を足す。

トイレが終わっても手をあらうところはない。うーん、気にしないのか?

結局トイレには2回いったけど、トイレットペーパーは大活躍だった。

2回目が終わって、次の人が女性だったので、「そこ、ペーパーないですよ」と

ロールごとあげてしまったけど、本当は持って走りたかった(汗をいっぱいかいたので

レース中に行くことはなかった。ホッとした)。

私のスタートは10時20分。整列開始が9時45分、終了が10時。

ウェーブは1から5まであって、各ウェーブのスタートのたびに国歌斉唱がある。

整列前に、東京マラソンでもらったタオルポンチョをcloth donation箱に入れる。

当日の荷物預けはないので、ランに不要な服は、ホームレスなどへの寄付になるのだ。

 

私の東京マラソンのポンチョ、ホームレスの人、気に入ってくれるかなあ?

レーススタート

言い訳になるが、今年はとにかく忙しく、出勤回数も増え、

また、実家の片付けが最終章にさしかかり、週末の大阪行きも増えて距離練習や

スピード練習が極めて少なかった。3月の東京マラソン以来、街ランをのぞいて

2時間走はほとんどしていない。

10月16日のレガシーマラソン、23日の駒沢公園ジョギングクラブでの

30キロ走ぐらいだ。フルを走るための練習ができていない。なので、

実は完走できるかどうか、めちゃくちゃ不安だった。

しかも、橋を5つもわたるというアップダウンコース、

そしてニューヨークシティマラソン開始以来最高気温の条件。

でも、ここまできちゃったからにはDNS(did not start棄権)はできない。

DNF(did not finish)の可能性はあるけれど。

国歌斉唱があり、ついにスタートした。

序盤の走り

いきなり橋。ベラザノ橋である。2キロあるという。

ペースメーカーは右前方に見える。ペースメーカーについていくと

結構プレッシャーになるので、ついて行く気はなかったけれど、

見えているのはいいことだ。

それにしても、ここが高低差が一番大きいという。

いきなり上りなので心拍が上がる。

まあ、とりあえずマイペースで行こう。

ところで、夫にも言われるのだけれど、「君はイーブンペースで

淡々と走るのがいいところなのだから、いつも通り走ればいい」

なので、レース中にペースを確認するために時計を見ることは

まったくない。今回も、時々距離を確認するぐらいだった(主な

距離表示がマイルなので)。

橋の上では給水がない。トイレもない(行きたくない)。

とにかく下りにさしかかってホッとした。橋が終わるとBronx地区だ。

大勢の見物人の大声援が聞こえる。97th Streetあたりから数字が始まり、

数字はどんどん若くなる。その後は、名前のついたStreet名になり、Bronxが終わる。

汗が出る。給水はGateradeとflowという水。補給は、まず10キロでジェル。

このジェルがまた、私は苦手だ。でも、仕方ない。

だいたい5キロごとの給水所では大抵どちらかを補給、そして10キロすぎに

塩飴を一個食べた。飴の袋をあけるのに少し手間取った。

これは次回は改善しないとな。余分な時間だ。

暑い。経験者は「NYマラソンは応援がすごいから楽しいよー」と

いってくれるけど、練習不足という気持ちがあるから

とにかく走り終えたい気持ちで精一杯。

もう、私にはフルマラソンは無理なんじゃないかとつい

弱気になる。

「もう、64歳なんだからさ、そんなに無理して走らなくてもいいんじゃない?

とか、完走しなくても、ここまで来たんだから、まあいいか、とか。

中盤の走り

NYマラソンのコースとしては、Brooklyne地区が一番長く、ほぼハーフまである。

2番目の橋(ボラスキ橋)でハーフを迎え、橋を降りるとQueens地区に入る。

そろそろ、ちらほら歩き始める人がでてきた。

応援の人がたくさんいるのはありがたいけど、時々、通りを横切る人がいる。

一度、そのような人にぶつかりそうになる。特に規制はしていないようだ。

でも、気をつけてほしいなあ、と思う。

Queens地区でも大歓迎を受け、走り抜ける。ここの地区については、

下見ツアーのときに居眠りをしてしまったので、事前情報がほとんどない。

とにかく、ハーフは超えた。

ここで、足が攣らないように「当帰芍薬散」を飲む。顆粒なので

袋を開け、水で飲みたい。また、もたもたする。

今回のレースは給水、補給でそれぞれかなり時間をロスした。今後の

課題。

Queens地区は短い。

3番目の橋、クイーンズボロー橋をわたる。この橋も長く、つらかった。とにかく、上にも道路があるらしく

空が見えない橋の上を走る。

先が見えない。歩く人も多くなってきた。でも、補給の時以外は絶対

歩きたくない。これだけは自分に課した信条だ。

4時間5分のペーサーはとっくに見えなくなっている。

自分の速度が落ちてきている証拠だけど、時計は見ない。

見ても、私の場合、速くなるわけではないからだ。

橋をおりることでQueens地区が終わると、一旦マンハッタンに入る。

それまで応援もすごかったけど、マンハッタンでの応援もまたすごい。

わー、キャー、そして、バンド演奏もあちこちで。

大音量から時々逃げるように走り抜ける。

そしていよいよ4番目の橋を渡るとBronx地区である。

ここでやっと30キロを迎える。

やった!ついに30キロまできた。

いつも30キロまできたら気持ちを切り替える。ここまでの

30キロは「忘れて」、普段の練習距離の10キロを走る、

そのように考えることにするのだ。

そういえば、天気は幸いなことに少し雨もふってきて、最初の頃ほどには

暑さを感じなくなってきた。涼しい。ラッキーだ。

Bronxも短い。倒れている人を1人みかける。

みんな、つらいよね。よくがんばったよね、と

横目に見ながら、通過する。

Madison Avenue Bridge 21マイルの旗を見る。マラソンは26マイル、あと5マイル。

つまり8キロだ。結構つらいところだけれど、それでももう普段の練習距離より

少ない。大丈夫、走り切れる、と気持ちを強くする。

終盤

残り5マイル。8キロ。再びマンハッタンに入る。

これまでにも増しての大声援。

ランナーの仲間が名前をかかげ、お目当ての人が現れるのを待っている。

ランナーとの再会を果たした人たちが大騒ぎをする。

アウェー戦はつらいところだけれど、自分の名前をゼッケンと一緒に

大きく表示したり、フェイスペイントで日本の国旗を書いておくと

名前で応援してくれたり、同国人の応援を受けることができるという。残念。

準備しておけばよかった。

応援は力を与えてくれる。本当にありがたい。You got this! You got this!

(よくやった!よくやった!)と繰り返し聞こえる声援。ありがたいなあ。

ぎりぎりまで補給食は取りたいのだけれど、40キロ付近で最後のゼリーを

落としてしまった。もう、Gateradeでしのぐしかない。

マンハッタンに入ると、一旦距離調整のために5番街を離れ、住宅街をコの字に迂回し、

再び5番街に戻る。

5番街は高級住宅街。こんなところに住める人は本当にお金持ちだ。

セントラルパークが右に見えてくるのだけれど、なかなか公園には入れてくれない。

セントラルパークの南北の長さは4キロ。パーク横の5番街をひたすら南下し、

やっとのことで公園に入る。

 

そこでも最後の応援が待っている。

24マイルの旗が見える。あと、3キロ。うーん、あと3キロ。これがなかなか…

それでも、歩く人を次々追い越し(粘りだけはある)、走り続ける。

一旦パークを出て、楽団の演奏の前を通過、あと800メートルの表示が見える

ああ、本当に走ったんだ。42キロ。

ゴールが見えてとにかく駆け抜ける。

完走

やったー!走り切ったぞ!ダメかと思ったけど走り切った。

ここで時計の表示を見ると4時間30分台のタイム。

まあ、このコンディションでは悪くない。

ほっとして、まずはメダルを首にかけてもらう。誰もマスクをしていないし、

対面でメダルをかけてくれる。

次にリカバリーパック。gaterade2本、水、りんご、プレッツエルが入っていて

かなり重い。次にポンチョ。でかい。

これに、預けた荷物を加えたら結構辛い重さになるな…

その後は流れに沿って、写真をとったり、預けたbagを受け取りに行ったり。

ホテルまでの長い道のり

交通規制がかかっていて、なかなか自分のホテルに辿り着けなかった。

ウェストからイースト地区に行けないのだ。

地下鉄のプリペイドカードを持っていればよかったのに

(前日にあんなに寝ないで、チャージしておけばよかった)

セントラルパークまでは20分ぐらいだし、と甘くみていた。

後から聞くと、地下鉄は、ただで乗れたみたい。この日は

開放していたらしい。

結局1時間ぐらいかかってホテルにもどる。

途中、メダルをかけて歩いていると(いっぱいいたけど)、多くの人が

おめでとう、よくやった、と声をかけてくれる。

終わってもレースなんだ。嬉しいなあ。

ホテルに戻り、シャワーをし、紅茶を飲んで生き返る。

夜は下見ツアーでご一緒したひとたちと打ち上げだ。

あとがき?

ところで、「楽しんできます」とか言ったけど、本当に楽しめたか?

というと、走ってる最中は、やっぱり苦しかった。

心拍数がそれほど上がることもなく(惰性で走ってるからね。でも慣性で

走れるようになることが理想)、足も今回は攣らなかったし、

あまり痛くならなかった。それでも、しんどいことに変わりはない。

楽しめたか?楽しめたのはゴールラインを踏んだ瞬間!そこに尽きる。

ああ、本当に「達成欲」資質が強い私。これ、もっと

若い時に(高校時代に?)発揮していればよかったのに。

とはいえ、こうやって苦しみながら、多分これからも生きていくのだと思う。

もう少し、私の冒険にお付き合いください。

今回の記録:4時間30分09秒(サードベスト。55歳の初マラソンのときより速いよ!)

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)