笑顔になれなかったベルリンマラソン!惨敗記(2023年9月24日)

当日朝の心境

2023年9月24日、朝の心境を音声録音にて記録。

「いやあもう本当にね不安で不安でしょうがないわけ。なんか体力落ちたなあという実感と、夏に、やっぱり押す練習をできなかった。ていうのが、その不安材料。7月以降、長い距離走ってないんだよね。で、周りがみんなハイな気分になってるのに自分だけドーンと落ち込んでて、いやもう、全く、どうしよう。というのが、もうベルリンに出発する前から、今日もあと1時間、2時間で、走り始めるっていうのに、やっぱり不安で押しつぶされそう。まいったなあ。明日、あるいは今夜、なんとか笑顔で迎えられるように、とにかく走り切りたいです。」

と言うわけで、こんな心境で迎えたマラソンスタートでした。

それでも突っ込んだ!

とはいえ、周りの皆さんが優しくて、「制限時間はたっぷりあるので

大丈夫ですよ」と慰めてくれる。

ブランデンブルグ門は、過激な環境団体がぶっかけた

ペンキがまだ残っているけれど、

それでもスタッフの方々が必死に綺麗にした、という。

ホテルから会場まで、仲間と一緒に歩く。

写真も撮ってくれた。

ドキドキはスタートまで止まらなかった。

それでも、ハーフまでは、なんとか走った。いや、

かなり走った!2時間2分。悪い出来ではない。

そして終盤

我慢、忍耐の中盤をすぎ、30キロに。

嫌な予感というか、足が攣り始めている。

そして、とうとう、35キロをすぎ、完全に足が固まり、走行不能になった。

一歩足を出すたびに、筋肉が外から見てもわかるぐらい

「ぎゅうっ」と固まる。それが右ふくらはぎ、左ふくらはぎ、

右太腿、左太腿、と順不同に場所を変えて固まっていく。

残り6キロは、もう「止まるか」「歩くか」の選択しかなくなってしまった。

でも、止まると絶対そのまま倒れる。

40キロをすぎると、歩くことさえ困難に。

1キロあたり12分かかっている。

去年の青島太平洋マラソンと同じように、下手すれば着地と同時に

倒れてしまう。倒れると2度と起き上がれない…

とにかく、歩く。なんとしてでも歩く。

写真の30038が私。カメラが向けられているのはわかっていたけど、

「走るフリ」も「笑顔」も出なかった。もう、カッコ悪いの極致!!

まわりはみんな走っているのに…(写真真ん中で手をだらんと下げているのが私)

You can do it!

40キロすぎからは、周りのランナーがよれよれの私に声をかけていく。

沿道の応援の人も。

Kiyomi, you can do it!  Go, go!!

もう、誰も止まることを許さない!

あと少し、あと少し…

門が見えてきた。

そして、ゴールはなんとか笑顔を作った!(硬いけどね)

もう、足もあがっていなかったけど。

今後の課題

さて、今回の敗因は

  • 走り込み不足、特に長距離。この夏は、20キロ走、30キロ走がほとんどできなかった、というより暑さに負けてやらなかった。
  • 塩分補給問題 昨年の青島太平洋マラソン、一昨年の富山マラソンではともに汗を出しすぎて途中で足が攣った。しかしニューヨークも暑かったけれど攣らなかった。ニューヨークのときは、前々日あたりから経口補水液をしっかり摂取していた。あまり好きな味ではないけれど、やはりやった時、やらなかった時の違いは大きい。
  • 練習の質をもう少し考えること。この夏は、ほとんど1人で走っていた。なので、自分の限界を超えるようなインターバルとかの厳しい練習をほとんどやらなかった。

秋から冬に向けて、もう少しマシなレースができるよう、また気持ちを入れ替えて走り続けよう。

まとめ

以上、ほろ苦いベルリンマラソン完走(?)記です。

来年も秋レースはあるだろうし、シーズン始めに教訓を得たことは悪いことではない。

来年3月の東京マラソン(今シーズンの本命)に向けて、

手痛い仕打ちを受けたことは決してマイナスではない。

練習を見直すきっかけにもなった。

それにしても、女子の世界新、キプチョゲ選手の優勝は嬉しいニュースだった。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)