母の入院(1) 2023.10.25

 施設からの電話

10月25日、仕事中に母がお世話になっている大阪の施設から電話あり。

ここしばらく食欲がないことはしばらく前に

電話をもらっていたが、今朝は嘔吐したとのこと。

施設の主治医より、糖尿病の数値もあがり、

尿路感染症もあるので入院させたいとのこと。

病院が決まったら連絡するとのことで

よろしくお願いします、と伝える。

インフォームドコンセント

夕方、入院先の病院の医師より電話。

造影CTとか超音波とかをとるという。

その際、体調の急変などあるかもしれない(滅多にないけど)

ということで、延命措置の可否を聞かれる。

2019年、施設に入る前に母とはそんな話をしていた。

延命措置は望まないと答える。

夕方、今度は看護師さんから電話。

入院着を支給していいかと聞かれる。もちろんOK。

施設から着の身着のままででてきたのだろう。

翌日。面会は?

10月26日、本日は不勤務日。

いただいた電話番号を頼りに

(母の病院名は、聞いたけれどもいろいろ一気に

情報がありすぎて覚えきれない)

病院名を確認。

電話をかけて面会の可否を聞くと

平日の午後2時から4時のあいだ、親族のみとのこと。

午後、病棟を知らせる電話を看護師さんからもらう。

面会できるか、尋ね、OKをもらう。

「明日、伺います。その際、医師に病状説明いただければ」と

お願いする。

面会

金曜日。母の入院3日目。

午後2時にあわせ、11時品川発の新幹線に乗る。

病院は梅田から徒歩20分前後の場所。午後2時すぎ到着。

行くと、入れ歯を外して寝ていた。

私に気づくと

「ああ、待ってたんやー」という。

そうだろうね。心細かったろうね。

とはいえ、入れ歯も外していて、母の言うことは

ほとんどわからず、また、こちらの言うことは

筆談をしないとわからない。

意志の疎通が難しいのは、もうずいぶん前からだが、

やはり困ったものだと感じる。

携帯に入っている孫たちの写真を見せる

「かえらしいなあ(かわいい)」と喜ぶ。

しばらくすると、医師が病状説明をしてくれることになった。

(入れ歯がないと、小顔になるね)

IPMN

結論から言うとIPMN(膵管内乳頭粘液性腫瘍)という

病気らしい。CT画像、超音波画像を駆使して

説明してくれる。

膵臓のなかに胃粘膜がちょこんと入り込み、

それが粘液を出し、溜まって、胆嚢のほうに滲出、

脾臓が圧迫されている、とのこと。

医師が一番疑ったのは、膵臓がんだったが、

その所見はないとのこと。

膵臓がんだと、手術、抗がん剤になるという。

また、より詳しく知るためには、さらに検査が必要だとか。

検査を望むか望まないかという問いには「必要ない」と

答える。

もうすぐ満90歳の誕生日を迎える母。

もう、検査も延命措置も望まないだろうし、そのような話もした。

それより、QOLが大事。

ほんのしばらくでも寝たきり生活をすると、そのあと歩けなくなることもある。

「リハビリ」もう計画していますので、と医師がおっしゃるので、

経過観察しつつ、通常の生活に戻ることをめざす、と合意する。

(写真:医師の説明の図と、母との筆談)

東京に戻る

病院には2時間ほどいた。

5時の新幹線で東京に戻る。

日帰り弾丸。ランの練習もあるし、土日は

いずれにしても面会できない。

母には「がんではないからね」と伝えた。

ご飯食べられるようになろうね、と言ったけれど

わかったかなあ。

いま、母は絶食で、点滴針が腕に刺さっている。

先の見通しを聞くのを忘れたが、来週、聞いてみよう。

来週は祝日もあり、レースもあり、仕事もあり、で

なかなか面会に来れないが、ちょっと我慢してね。

母のこと

私の父は病気がちの人で、

病院に行く時もいつも母が付き添っていたし

(父は怖がりだった)、

父の両親も何度も入院する人たちだった。

祖母は、かまってちゃんだったから、

入院が大好きだった。(親戚からお見舞いを

もらえるからね)

長男の嫁だった母は、父、祖父母が入院するたびに

家業の商売をしながらも毎日のように見舞いにいって、

洗濯物をひきとったり、洗ったものをもっていったり、

甲斐甲斐しく面倒を見ていた。

父も祖父母もそれを「当然」のようにやってもらっていて

平気だったけれど、今となっては、母を見舞うのは

私一人、しかも遠方だ。

なかなか理不尽ではないか。

父亡き後、母は歌舞音曲の生活でそれなりに楽しんだけれど、

耳が遠くなってからはそれらの楽しみから遠ざかった。

「ろくなことない」とは、若い頃からの母の口癖。

私もできる限りのことをしようとは思うけれど、

母が父や祖父母にしてあげたようなことはできない。

ごめんね。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)