さようならDio

初めてのスクーター生活

スクーターは、いつも私の子育ての味方だった。

最初に使ったのは、長女を保育園に連れて行ったとき。

車の運転は苦手だった(アメリカで免許をとったので、縦列駐車とか、

車庫入れなんて練習しない)し、車を買う余裕もなかった。

ほとんどの人が車で移動するような地方で、私が産休代替教員として

着任した中学校は、自転車で行けるような距離ではなかった。

しかも、こどもを保育園に預けてからの通勤。

足がまったくなかった私は、自転車→スクーターという乗り継ぎを

考えた。

まず、保育園まで自転車で子供を乗せて行き、保育園には

レンタルスクーターを置かせてもらい、保育園で

乗り物を履き替えた。地方の保育園だったので、敷地は広く、

スクーターを駐輪場に置くことも快く引き受けてくれた。

免許は20歳ぐらいにとっていたけれど、スクーターに乗るのは

生まれて初めてだった。最初は、怖かった。でも、仕事したかったので

必死で数日は練習した。

そうして、乗り継ぎ通勤をなんとかこなした。

それが日常的に私がスクーターに乗る最初の日々だった。

冬は、赤城おろしという強烈な向かい風を受け、

信号待ちをしていたら後ろに押し戻されそうになる。

今となっては「よくやったな」という思い出だ。

再びスクーターの出番

長女が一歳のときに東京に戻り、スクーターは必要なくなった。

次の出番は、次女の塾弁用だ。実に10年以上の日々が経過していた。

当時、私は自転車で15分ほどの職場で働いていた。

地方自治体の非常勤職員で、育児との両立ができるよう、

週4日勤務、残業なし、の職場だった。

自転車で通い始めたが、残念ながら坂道があり、たった50分の昼休みに

自宅と往復し、かつ、お弁当を作り、自分も昼食をとる、ということは

かなり困難だった。

そこで思いついたのがスクーター通勤。

職場の同僚にバイクに詳しい人がいて、購入の手配をお願いした。

中古のDIOだった。

当時7万円。即決で購入。

初めて、自分のスクーターを手に入れた。もちろん保険もかけた。

最初のうちは、30キロのスピードでも

ビクビクしていたが、少しずつ慣れた。

毎日、往復の通勤と、塾に通う日の昼休み往復。

ビューンと駆け上がる坂道。

必死だったなあー。

転職

次女は無事お受験を終え、お母さんとしての仕事は一段落。

公務員生活には2年ほどで別れを告げ、フルタイムの仕事に就いた。

Dioは、あまり出番がなくなったけれど、

週末には、それであちこち出かけた。

その後、さらに転職。

今度は、通勤時間が1時間半もかかるところだ。

特に、駅から職場までが遠く、いきなり残業の多い仕事になったため

また、スクーターを使いたいと思った。

でも、同じスクーターではつまらない。(ごめん、Dio)

いっそのこと、中型車の免許をとって、ランクアップしたいと思ったのだ。

48歳で自動車学校に入校。

半年ほどで免許をとった。

そして通勤(といっても、職場の最寄駅から職場までの

2キロ)に使ったのがサンヤンの100ccのバイク。

駅付近に月極で駐輪場を借り、

わずか20分の距離をスクーターでビュン!

通勤がずいぶん楽になった。

このスクーターは職場近辺で大活躍、2017年に始めた私の一人暮らし

(ブログの「やめ主婦シリーズ」をご参照くださいね)の

力強い味方になった。

その後、250ccのバイクも買い、遠方にツーリングに

でかけるようになった。

Dioは近場用、250ccは、ツーリング用。

しばらくは、二輪車を3台、同時所有していた。

コロナ禍でまたまた活躍

2019年、コロナがやってきた。

在宅勤務が始まり、通勤時には車など、「人と接しない方法」での

移動が奨励された。

その頃には100ccのバイクは、出番がなくなり、処分していたので、

職場までは、何度かDioで行った。

片道20キロぐらい、原付ならば約40分で行ける。

トコトコ、と、原付で通勤した。これが、Dioが初めて東京を出て

埼玉まで遠征した最初の体験となった。

ラン練習とスクーター

Dioは、ランニングの練習にも活躍した。

うちから練習場である駒沢公園まで歩いて約20分。

もちろん、走っていけばいいのだが、

激しい練習後は一刻も早くうちに戻ってお風呂に入りたい。

で、往復はスクーター。

とはいえ、練習会は週末だけなので、週に1、2度乗るかどうか。

だんだん、バッテリーがなくなっていき、

何度もキックスターターを蹴らないとエンジンがかからなくなった。

あまりに古いタイプのスクーターだったので、

コンセントをつないでおけば充電できるという

バッテリーチャージャーも使えなかった。

夏はだいたい30回のキック、そして冬になると、それこそ

60回ぐらいキックしないとエンジンがかからないようになってしまった。

その日

自賠責保険期間はあと半年ぐらい残っていたので

次の更新のときにはもう、廃車にしよう、と思っていた。

しかし、最近、寒くなってきて、ますますエンジンがかかりにくくなった。

12月3日朝、いつものようにランニング練習に行こうとして

キックスターターをかける。

キックは100回を超えたけれど、

エンジンはかからなかった。

「もう、だめだ」と、廃車の決心をした。

最後の旅

午前中にランニングの練習を終え、

すこし暖かくなった午後、スクーターのエンジンをかけた(なんとか、かかった)。

そして、10分ほどの距離にあるバイクショップに乗って行った。

保険証券と標識票を渡すと、オーナーはナンバープレートを外してくれた。

お礼に写真とっておきなよ、とショップの人に声をかけられ、写真を撮る。

「まだ使えそうだねえ」と、オーナーが、Dioを点検してみると…

「あれー」と驚く声が!

なんと、エンジンを留めているシャフトが脱落している、という。

エンジンが、ほとんど落下しかけていたのだ。

セルモーターではもうエンジンがかからなくなっていたから、

毎回、キックスタートしていた。

キックスタートでは、かなり車体も揺らす。

そんなことを繰り返しているうちに、シャフトが

緩み、ついに落下していたのだった。

守ってくれたんだね

もし、走行中にエンジンが落下していたら、

後輪がそのエンジンに乗り上げ、当然、転倒。

私は大怪我をしていたと思う。

Dioは、最後の力を振り絞って、私と出会ったバイクショップまで

私を運んでくれたのだ。

オーナーがエンジンに触れると、もう、はずれかかって、ブラブラになっていた。

いやー危なかった。

「運が強いねー」と感心された。

本当にそう思う。でも、Dioが守ってくれたのだと思っている。

23年、育児に協力してくれて、私のラン練習にもつきあってくれて、

ありがとうね。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)