抗がん剤治療と運動:抗がん剤治療をしながらマラソンを走りきった記録(6)

浸潤がんと非浸潤がん

入院の前日まで精神的にも身体的にも元気にすごしていたわけですが、なぜこんなに能天気にしていられたかというと…

少し知識として知っていたのは、乳がんは、非浸潤がん、浸潤がんがあるということです。

がん研有明病院のウェブサイトを見るとさらに「パジェット病」というのがあるそうです。

非浸潤がんは、「乳管」や「腺葉」の中にがん細胞がとどまっている段階のがん。非浸潤がんはごく早期のがんで転移をおこさないため、この段階で治療ができるとほぼ完治できると言います。私のがんは5ミリ。十分完治出来る範囲です。

私の医師は手術、そして放射線5週間という治療計画を私に告げました。この計画は後に、切り取った病巣部の病理検査を経て変更ー抗がん剤の追加ーになるわけですが、この時点では、医師も自分も転移しやすいがんとは思っておらず、非浸潤がんであることを疑いませんでした。

だから、少しの期間頑張れば普段の生活が戻る、とあくまで楽観的に考えていたのです。

情報を仕入れすぎて不安を作らない

私自身、このようにブログを通じて自分の体験を広くお知らせしているので何とも言えないところはありますが、あまり、インターネットの情報を「仕入れすぎる」ことで不安にならないほうがいいと思います。この時点では、自分はそれ以上ネット検索であちこち調べ尽くしてあれやこれやの心配をしすぎないようにしていました。

多くの人に共通することもあれば、自分だけに特異的なこともある…では、なぜ人は体験を書き、また読むのか。

わたしは一昨年がんの手術をし、放射線治療をし、抗がん剤治療をしました。
一時期は抗がん剤治療でとても体力を奪われて、髪もなくなって…

でも、今は元気に生きています。髪も生えてきました。

「たとえしばらく大変なときがあっても、必ず元気になる」ことを少なくともこのブログを読んで下さっている方(特にがんを告知された方)に伝えたいと思いました。

入院

7月7日入院。その日、長女が帝王切開で次男を生みました。生まれた日に赤ん坊に会いにいけなかったのは残念でした(出産まえだったので長女にはこの時点では手術のことは告げていませんでした)。

その日は麻酔医や主治医が回診に来て下さったり、超音波で術部を確認したり、いくつかの検査以外はのんびり過ごしました。

医師は外来や手術でとても忙しいので、私の手術説明は夜8時ごろになりました。

説明には次女と三女が立ち会いました。医師が、「あ、高校生にはちょっと刺激が強いかも…」と言っていましたが2人とも社会人です。(若く?幼く?見えるのかしらん)

病院では昼ご飯、夕食を食べました。

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七夕なのでデザートに七夕プリンがでました。

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)