抗がん剤治療と運動:抗がん剤治療をしながらマラソンを走りきった記録(9)

思ってもいなかった病理検査結果

手術前後もいつもと変わらず活発に(当然です、症状は出ていないのですから)生活していました。

さて、退院してから2週間後の7月23日、経過観察と病理検査の結果を聞きに行きました。

そこでM医師が私に伝えたがんの病名は、「マイクロパピラリーカルシノーマ」というものでした。

正式にはInvasive Micro papillary carcinoma 浸潤性微小乳頭癌 です。

先生は「顔つきの悪いタイプです」という表現をしました。

それで、「リンパ節転移はありません。再手術はしません。今後は放射線を1週間当初予定より延ばして6週間にします。その後、抗がん剤治療をやります」と治療方針を伝えました。

抗がん剤治療は拒否

「先生、抗がん剤はいやです」と私。

私「抗がん剤をやらなかったらどうなりますか」

M医師「このタイプのがんは再発率が25%。抗がん剤をやったら半分になります

私「でも、抗がん剤はやりません」

M医師「まあ、ゆっくり考えて」

ここで会話は終わり。次回の検診予約をして診察室を出ました。

その日は午後に歯科検診。その後、皇居を5キロ走りました。

2014年の秋レースは10月26日に大阪マラソンを走るつもりでしたから、
「がん」よりも練習、と思っていました。そもそも、走る時点でがんのことは考えていなかった、というか普段通りの生活をしようと思っていました。

帰宅した夫に告げたのは、夜になってから。夫はどうとらえたでしょうか。

それからの日々、抗がん剤治療のことを頭の片隅におきながら、でもそのことは放射線治療が終わってから考えよう、と思っていました。実際、抗がん剤治療だけは断固として拒否するつもりでした。

写真は、お台場に外国人留学生を引率したときのもの。毎年、仕事で30名ほどの学生を東京ツアーに連れて行っています。お台場のレインボーブリッジを歩いて渡るなかなかハードなツアーです。

今年が最後かも」と、さすがにこのときはそのような思いが頭をかすめました。

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)