抗がん剤治療と運動:抗がん剤治療をしながらマラソンを走りきった記録(14)人間ドックを受ける

放射線治療終了後、人間ドックを受ける

6週間続いた放射線治療は2014年9月24日に終わりました。

放射線治療が終わる直前、9月20日に夫と一緒に人間ドックを受診

いまさら、という気もしましたが、その前年も受診しているし、夫の誕生日前後に受けるということは夫の健康チェックという意義もあります。また、今の医療制度では、乳がんは診てくれてもほかのところは診てくれないので、そちらのチェックもしたかったのです。

そして、その人間ドックの結果は、その後とんでもない心配事を生み出す結果となってしまったのですが…

多忙を極める

職場では7月いっぱいで仕事のパートナーがご家庭の事情でやめてしまい、色々な仕事が増えてきました。

その後、もう1人のパートナーも転職で12月にやめることになっていて、3人でやっていた仕事を1人で抱える状況に。しかも人の補充はなかなかしてくれません。

9月末には、放射線治療の「マーキング(照射位置を示すマジックのボディペイント」が消えたので、一人暮らしの母を見舞いに実家の大阪に帰省しました。まだ、母にはがんのことは告げていません。

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11月にはCFP(ファイナンシャルプランナー)の科目試験を受ける予定で、専門学校TACに申し込んでいました。その勉強も始まっていました。

10月の大阪マラソンを控え、9月には月間合計150キロ走りました。

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放射線科の医師には「(放射線治療で)疲れたり、だるかったりしませんか」と聞かれましたが、
疲れている暇(?)もありませんでした。

まあ、結構瀬戸際な毎日でしたが、あまり病気のことを考えすぎないでよかったのかもしれません。

決断の日は迫る

抗がん剤治療をやるかどうか、決心はつきかねていました(医師の決定は変わりません)。

決めなければならない日は刻々と近づいていました。

 

 

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)