乳がんとの日々(7)放射線治療は続くよ6週間 治療したり遊んだり

放射線治療 8月11日〜9月22日

癌のタイプが微少乳頭癌という悪性度の強いものだったため、非浸潤ならば5週間で終わる放射線治療も1週間プラスされた6週間になりました。

放射線は、適切な場所に、最低限の被曝で照射するため、身体にマーカーで印をつけます。乳房の周りに縦横の線が書き込まれ、さながら刺青のよう…美しくはないけど。薄くなったら、上書きをします。マーカーは特殊なものではなく、単なるマジックなので、ブラジャーは、マーカーで黒くなります。治療期間中はいい下着つけられないな、と、お気に入りは封印して、古くなったものとUNIQLOのスポーツブラを使うことにしました。

放射線治療は毎日病院に行って照射する必要があります。勤務先への通勤時間は1時間20分…治療はどんなに早くても8時半から、それから会計があり、病院を出るのは9時を過ぎます。10時半ごろ出勤して、その分定時より1時間半遅く帰ります。

毎日、毎日、放射線照射1番の番号札を取るために受付開始の8時よりかなり前、7時半には病院前に並びました。朝一番に診察して欲しい人は結構たくさんいて、私がいつもだいたい5番目ぐらい、放射線治療では2番目。いつも1番の人は子宮がんだったか、やはり職場に間に合うようにと早くから並んでいました。毎日、「元気じゃなければ病気と闘えないわ、こりゃ」と思っていました。

放射線治療は、照射部にやけど状態がやや出る程度であまり辛くはありませんでした。医師が「疲れませんか」と訊くのだけれど、「大阪マラソンに出るために走っているので、疲れているかもしれませんが、それが放射線治療によるものか、練習によるものか、わからないので大丈夫です」と応えていました。放射線治療はあまり自分には影響はなかったように思うのですが、次の抗がん剤治療に進むかどうか、まだ決めかねていました。できればこのまま、放射線治療で終わりにしたいと思っていました。ガンについて勉強する時間はまだありました。

そのころ、頑張っていたのは秋、11月15日に実施されるCFP(ファイナンシャルプランナー)の科目試験(保険)の勉強でした。問題集を少しずつ解き進め、だんだん理解が深まっている過程でした。
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また、その間に一泊の勝間塾ツーリングがありました。久里浜からフェリーに乗って房総半島を走り、温泉に入って「温野菜」というしゃぶしゃぶのお店で野菜いっぱいのしゃぶしゃぶを楽しみ、勝間塾で新しく契約した合宿所である茂原研修所で麻雀大会。その研修所に行ったら、電気の契約手続きができていなくて真っ暗な(すでに9時すぎで外も家の中も真っ暗)研修所で電力会社の人を呼び出したり、懐中電灯を探したり、そして翌日にはゴキブリホイホイを(どうやらいっぱいいたみたい)買いにいったり、となかなか愉快なハプニングもある旅行も楽しみました。
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9月22日に最後の放射線。次の抗がん剤まではちょっと中休みです。

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)