乳がんとの日々(7)放射線治療が終わって一休み、そして大阪マラソン

2014年10月 放射線治療が終わって一休み、そして大阪マラソン

このころ、ひとつ気がかりなことが発生しました。9月20日に夫と一緒に受診した人間ドックの大腸検査で潜血反応が出たという連絡を受けたのです。紹介状を書いてもらって乳がんの治療を受けている病院の消化器科に行き、内視鏡検査になった。心配だったのは、乳がんと大腸がんは「お友達」といって、どちらも発症する人が多いという職場の産業医の話でした。乳がんだけでもダメージなのに、大腸がんになったら、本当にどうしよう?二つのがんと闘えるのか?人工肛門になったら、それこそ外出も難しくなるのではないか?と考えは悪い方向にばかり向かいます。

検査は10月22日。

内視鏡検査では、腸を大量の下剤(2リットル)で空っぽにして、肛門からカメラを通すというもの。病院は近かったので、家でほぼ3時間、下剤との格闘です。「便が水のようになるまで」下剤を飲み続けます。準備が整ったら病院へ。看護師さんなどの指示のもと、準備をして検査医にカメラを入れてもらい、自分の腸をみることができましたが、幸い、美しいピンク色。素人目に見てもなにもない。小さいポリープだとその場で切ってしまうけど、どうしますか?と尋ねられましたが、大阪マラソンが26日に控えていたので大きさによっては切らないで欲しいと答えました(出血しますので)。また、検査医も、「詳しくは検査結果のときに話しますが、ほぼ大丈夫だと思いますよ」と伝えてくれました。

さすがにほっとし、実家のある大阪に向かいました。放射線治療をしているうちは、胸に放射線照射の目印のためのラインがマーカーで書き込まれているため、実家に帰ることは避けていました(母が一人暮らしの実家には、お風呂は後付けで作ったものだったので、脱衣場がなく、部屋から丸見えなのです)。

自分の故郷である大阪、特に普段は車しか走れない御堂筋を自分の足で走るのは何より楽しみでした。母と次女が千日前で応援に来てくれることも励みになっていました。結果としては、大阪マラソンの日は想像以上に気温が高く、記録もふるいませんでした(5時間半ぐらいかかった)。何より失速して24キロ過ぎには歩いてしまい、東京マラソンまで本気の練習が必要だということを実感しました。
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その直前、10月11日から18日にかけてはインドに旅行しました。夫の学会についていくためで、元々随分前から計画していて、そのために抗がん剤治療も先延ばしにしていました。
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インド旅行は楽しかったですが、やはり次の治療が気にかかっていました。このころは、がんについての本をたくさん読んだ時期でした。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)