乳がんとの日々(19)東京マラソン当日

「スタートラインに立つ」

そのことだけを念じて4ヶ月の抗がん剤治療に耐えてきました。
点滴の数だけ具合が悪くなりました。でも、その日、そこに立つことができました。

38キロ地点に仲間が待っているから
きっと出場すると約束したから
そして走りきるだけの練習をしたから

42.195キロは簡単じゃないです。だけど、いったん号砲が鳴ったからには決して歩くまいと決めました。

当日の朝は雨。寒い。昨年と違い、荷物検査も厳しく、ペットボトルも持ち込み禁止。栄養補給ゼリーも制限あり。色々難しいこともあるけど、走り始めたらここに来るまでの色々なことを思い出して涙が出そうになりました…夜明け前の練習、痛かったアイスグローブ、体中にでた湿疹、プレゼントにもらった赤い帽子…

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いつもラップ表をもって走ります。その日は、予定より遅れ遅れ。やはり好調なときとは違います。でも、まだまだ大丈夫。市ヶ谷のあたりで夫と長女、孫息子くん2号の応援を受けます。品川を折り返し、増上寺を過ぎたあたりで「きよみー、きよみー!」という声。「誰だろう」と思いながら笑顔で応えたけど…後でわかったことですが、それは職場の元同僚の声援でした。(奥さんの応援に来ていたそうです。そして、私が出ることを直前に知り、ちゃんとウォッチしていてくれました)後日、完走祝いに奥さんと一緒にごちそうしてくれました。

浅草を折り返し、30キロ地点が一番つらいところです。歩きたい誘惑が何度も襲ってきます。去年は、ここでしっかり走りきれたおかげで最後までスピードが落ちませんでした。けど、今年は体力の低下を感じます。でも、歩かないって決めたから歩きません。

35キロを過ぎると登り坂。苦しい。けど、上りきったら仲間の待つ38キロ地点。ランニング仲間、夫と次女、三女、職場の仲間。必ず待っていてくれる。その確信があるから、そこに向かって走ります。

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38キロをすぎたら、あとはもうゴールまで。一気に、とは行かないけど完走はできる、と確信しました。

↓42キロ地点で撮影。ここをすぎてゴールにはボランティアで活動している仲間がいます。

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記録は5時間25分。初マラソンより45分も遅かった。でも、「抗がん剤に負けなかった」と言えるレースができたと思います。

本当に、本当に、応援してくれたみんなのおかげです。応援が走る力になる、確かな証拠を残すことができました。ありがとう、ありがとう。

寒い中、38キロ地点で待っていてくれた仲間がとってくれたビデオです。応援のみんなの声が入っています。すごく、すごく嬉しい出来事でした。

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この記事を書いた人

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大野 清美

1958年大阪生まれ、大阪育ち。子どもの頃の夢だった「留学したい」を37歳で実現。3児を育てながら米国NY州コロンビア大学国際関係学大学院を卒業しました。帰国後は英語を使って仕事を続け、今後は「自分の人生を変えてきた」英語を教えたい!と修行中です。
趣味はマラソンとモーターバイクでのツーリング(愛車Honda VTR)です。
(2019年4月記)