この原稿は患者(一般人)の立場から自分の歯の治療について書いています。自分の経験にのみ基づいて書いていますので他の人には当てはまらない場合もあることをご承知おきください。
20代で突然襲われた激烈な歯の痛み!後にわかった名前は「歯根嚢胞」。歯茎に膿が溜まり、ばい菌が歯槽骨を溶かすという恐ろしい病気でした。そのお話をご紹介します。
1. これまで矯正治療ができなかった理由
58歳で始めた矯正治療。これまでずっと気になっていながらこの年齢までできなかったのは大きな理由があります。
歯周病です。
そして、私のような歯周病患者には「矯正治療をお勧めしない」と、歯周病治療を得意とするD先生に言われていました。
歯周病を改善せずに歯列矯正を行うと歯の周りの骨が溶け、歯周病が悪化してしまうことがあります。歯周ポケットが深い状態で歯列矯正で歯を動かしてしまうと、より歯周ポケットが深くなり、場合によっては歯が抜けてしまうこともあります。歯周病で骨がなくなっている場合には、先に骨を再生させてから歯列矯正を行います。
「歯医者が教える歯のブログ」(東戸塚のおかざき歯科クリニック)」より
お世話になっている歯医者さんに逆らって矯正治療をする勇気はありませんでした。
2. 20代で歯根嚢胞 激烈な痛み
29歳で突然激烈な痛みを伴って発症した歯周病。
あちこち歯医者を訪ね歩いたあげく治療をしてもらったT歯科医(故人)は私の症状を「歯髄嚢胞(しずいのうほう)」という表現を使っていましたが、そのような言葉は見つからず、どうやら「歯根嚢胞(しこんのうほう)」だったようです。
歯の根の先に膿の袋ができることです。歯のレントゲンでみると歯の根の先に黒い部分が見えます。歯は神経が死んでしまうと神経が入っていた部分が細菌に感染し、細菌や毒素を根の先から出します。その細菌などから体は骨に感染しないように、根の先から逃げるように骨を溶かしたり、袋を作ったりします。これを歯根嚢胞と言います。
「歯医者が教える歯のブログ」(東戸塚のおかざき歯科クリニック)」より
その痛みたるや激烈なもので、当時まだ2歳だった長女のお世話がまったくできないほどでした。
何を食べても、というか食べられない痛み。当時はわかりませんでしたが、歯の根の先から毒素が出ていたのです。
発症したのは上の前歯。たちまちのうちに前歯の1本はぐらぐらに動揺する(ゆれる)ようになりました。
口を開いたら1番目立つ場所の歯が抜けるかもしれない!
恐怖でした。
近所の歯医者では、「もう抜くしかないですね」
痛みをともなう炎症はしばらくしておさまりましたが…なんとかしないといけない。
友人の紹介で遠くの歯医者さんに行きましたが、あまりに遠くて子連れで通うのは現実的ではないと諦めました。
東京医科歯科大学の大学病院に予約、半年待ちと言われましたが、さいわいひと月ほど待ったときに連絡が届いて診察してもらいました。
ここでも「この歯は抜くかもしれません」と言われました。
実家の両親に相談すると、私が昔から通っているT歯科医が「抜かないから(診察に)来なさい」とのことでした。
当時住んでいた東京から大阪の実家に帰り、両親にこどもをみてもらいながら治療をしました。
前歯は抜きませんでしたが…かなり怖い治療でした。
(写真はイメージです)
歯根嚢胞の治療は歯の根の中の消毒をする根管治療を行います。
昔の治療なので今となってはその手法が正しかったかどうかわかりません。
上の前歯の4本を歯茎のところから切り、根管治療をおこない、歯茎の下に残した自分の歯に金属の棒の支えを入れて、それを「芯」として、その上から人工歯をくっつけたのです。
上の前歯の2本は歯並びが悪く、少し重なり気味だったので見かけはよくなりましたが…
それで歯茎が治ったかと言うとそういうわけではありません。
その治療(?)後も体力が落ちるたびに歯茎は腫れました。後に読んだ本によると、歯茎が腫れるたびに歯槽骨はどんどん溶けていく…そうです。
悪かったのは上の前歯だけではありませんでした。歯周病では、一本だけが悪い、ということはないのであちこち悪いところがありました。
3. 片山式歯周病治療との出会い
朝日新聞が出版した「歯無しにならない話」(1984年出版)という本がありました。
その本の中で紹介されていたのが片山式歯周病治療を生み出した片山恒夫先生です。
片山恒夫先生(2006年逝去)の本「歯槽膿漏 抜かずに治す」(1990年出版)を読み、片山先生のお弟子さんであるD先生(東京在住)に当時夫の転勤で仙台にいた私は手紙を書いて治療をお願いしました。
上の写真の本は、自分の歯周病の改善を願って何度も何度も読みました。
”片山式歯周病治療”は片山恒夫先生が編み出した歯周病治療法で、別名”自然良能賦活療法(しぜんりょうのうぶかつりょうほう)”といいます.
自然良能賦活療法(しぜんりょうのうぶかつりょうほう)
自然良能賦活療法には2つの大きな柱があります.
”長時間ブラッシング”の励行と”一口50回噛み”を基礎とした食生活改善”です
朝日新聞で有名になったため、D先生に診ていただけたのは手紙を書いてからほぼ半年後、仙台から東京にもどってきてからでした。
その歯科医院では若い担当の先生とベテランの歯科衛生士が徹底的に「ブラッシング」を指導してくれました。
指導に従って丁寧なブラッシングを続けていると、良くなる歯も出てきました。
でも、一口50回噛み、という「課題」はなかなかできませんでした。
それでも定期的にその歯科に通い、通うたびにブラッシング指導を続けていると、なんとか悪化はせず、抜かないでいることはできました。
…D先生の医院には25年通いました。
その間、前歯の1本は歯の根が露出するぐらい歯茎が退縮してしまいましたが、その前歯を支える裏側(口腔蓋側)の歯槽骨はまだ残っていて、何とか前歯の裏側の骨だけで歯を支えています。
強い力をかけることはできないので「フランスパン」を前歯で引きちぎることはできません。
幸い笑っても歯茎がめくれるぐらいの大口ではないので、退縮した歯茎はまあまあ目立たない程度。
歯茎の退縮まで至っていても、抜かないことで何とか25年持たせることができました。
ただし、その25年のあいだには3年のニューヨーク生活などもあり、ニューヨークでもまた歯が痛くなって(正確には歯茎が痛くなって)現地で歯医者にいき、そこでも「抜いた方がいい」と恐怖の宣言をされました。
それでも、1本も抜きませんでした。
4. 矯正をあきらめられなかった
近年になってD先生も歳をとり、また、ずっと指導をしてくれていた歯科衛生士さんが定年退職してしまいました。その後を継いだ歯科衛生士さんはあまり指導をしてくれる方ではありませんでした。
D先生も口では「ブラッシングを頑張れ頑張れ」とは言いますが、具体的にどこをどうしなさい、とも言わなくなりました。
歯並びが悪く、ブラッシングがしにくい上にこれまで頼りにしていた歯科衛生士さんの指導も受けられなくなり、口の中はどんどん汚くなってきました。
特にいやだったのは、歯並びが悪いところの歯のステイン(茶しぶなど)がブラッシングだけでは取れないことでした。市販の「ホワイトニング」なども試しましたが、とれませんでした。
上の前歯もD先生のもとではもう、きれいな歯になることはない、と思いました。
そうして、今が最後かもしれない、と思い、インターネットで「高齢者、矯正」で矯正歯科を探しはじめたのです。
昔と違って矯正の技術も進歩しているはず、と思い、すがる思いで矯正歯科の門を叩きました。
5. 歯周病治療と矯正治療の同時進行に
こうして思い切って訪ねた矯正歯科。
先生が私の歯をみて最初におっしゃったのが「食物残渣が多いね」の一言。
はい。確かに。
歯ブラシだけでは歯の汚れは落としきれてないことは感じていました。
前の歯医者さんではデンタルフロスは「歯茎をいためる恐れがあるから」と禁止されていました。
しかし、やはり必要だったのです…フロスでないととれない食物残渣が多すぎる。
矯正の先生は歯周病をまず改善してから、という方針で同じ歯科内にいる一般歯科の先生の治療を優先しました。
新しい歯医者さんのもとで、とにかく歯を清潔にする、デンタルフロスを使ってきれいにする、を心がけました。
6. まとめ
1年頑張ってやっと始まった矯正治療。
まだまだ歯周病の治療も続くでしょう。
でも、ほんの3か月でこの状態が
こうなったのです。(ちょっと撮影角度は違いますが)
矯正治療の不便なところは、別の記事で書きますが、こちらの方が絶対手入れしやすい、と思いませんか?
いろいろ困難もありますが、「キレイになりたい!」ので頑張ります。
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