姉の突然死のあとも家族の歴史は続きます。
姉が急死したのは私が中3の一学期の三者面談の日でした。
1. 進学には影響なし
成績がよかったので三者面談は中断されていましたが、問題なく地元の公立校を受験することで合意が得られていました。
私は姉が死んだ後も、とりあえず受験があるので以前と変わらずガリ勉を続けていました。
成績が急降下するということもなく、これまでの蓄積で学校の試験ではまったく問題は生じず、目前の「高校受験」に向けて邁進する日々でした。
家族の悲しみは簡単には癒えなかったけれど…
もう、火葬してしまったら戻ってくる可能性はありません。
2. 急に浮上する「跡取り話」
中学一年で抱いた野望、アメリカに留学するという夢。
姉の死により私が将来この両親を家に残して出て行くという夢はこのときに完全に潰れてしまったのです。
実際は4年後に大学進学、そして結婚により家を出て、そして23年後には留学するという夢が実現したのですが、
そのときはまだ中学生。純粋に両親がかわいそうで、
しかも暴力をふるう父と一緒にいる母がかわいそうで家を出るということは考えられないことでした。
親戚からは「清美ちゃんは養子取りやなあ」などといわれるようになりました。
実家は商売をやっていたので、家を継ぐということがなんとなく既定路線のように言われるようになっていたのです。
しかし、現実は零細企業でしかない実家。
時代はどんどん進んで、こんな小さな商店に将来があるのか、と中学生でも思うような状況でした。
中学校2年までの勉強で十分勢いがあったせいか、地元の公立高校を受験するまえに、
国立大学付属高校に合格しました。中学校から5名ほど受験してただ一人合格したのです。
両親は、単純に喜びました。
彼らにとって私は「自慢の種」だったからです。
近くに仲の悪い親戚がいて、しかもこどもたちの年代も同じ年頃。
何かにつけ、子どものでき不出来についてもライバルだったのです。
3.父の暴力の原因
父の暴力の原因には、お金がない、お金に忙しいということのほかにこの親戚との関係もありました。
父は長男で、商業高校出身。祖母はプライドの高い人で学歴の高い弟(私にとっては叔父)だけが自慢の人でした。
父には姉、弟、妹がいましたが、祖父が投資目的で買った土地をめぐって兄弟姉妹でいがみあう関係がずっと続いていました。
父は、祖父が祖母に黙って作った借金の肩代わりをしていました。だから、
祖父の残した土地をもらう権利は十分あったはずなのに、父の名前は土地の所有者のリストの中にありませんでした。
祖父にすれば長男なのだから何もしなくても長男に財産がいく、と思っていた節があります。
何も知らない父のきょうだいから、父は馬鹿にされていました。
若いころはバイクを乗り回したり、ビリヤードのような「遊び」をやったり、
まあ、一通りの「やんちゃ」はやっていたのではないでしょうか。
なので、私の成績がどの「従兄弟」連中よりいい、
というのが両親にとっては唯一の「清涼剤」だったのです。
父は私が高校に進学してもあいかわらず「怒りっぽい」人で、
ワアワアわめくことにあまり変わりはなかったですが、
私が中2のときに右足の甲から下を病気(脱疽:動脈硬化で、指先に血液が届かなくなり、腐ってくる)で切断しているので、
義足になり、物理的に母を「蹴る」ということができなくなっていました。
なので、「派手なけんか(というか、一方的な父の暴力)」はなくなりました。
姉の死も父が多少おとなしくなった原因でしょう。
父はその後、再度入院し、足首から下を切断。
そのときの輸血がもとでさらに何年かして(私が結婚した後ですが)、肝炎、肝硬変となり63歳で亡くなりましたがそれはまだ先の話。
まあ、それほど何度も病気に襲われつつ、母にはいいたいことを言ってこれたから多少ストレスも解消されていたのでしょう。
(サンドバッグにされるほうはたまりません)
父は身内からの承認欲求が満たされず、そのはけ口を母に求めていたのですね…
4.夢も希望も…
さて、親戚から「養子取り」といわれた私。
母からは「墓を守ってくれ」とか言われ(私だけは父から大事にされていたので何も言われなかった。)、
もう、人生の展望がまったくなくなったころに
高校に入学したのでした。
いや、まったく勉強なんてする気にならないです。本当に。
養子にきてくれるような適当な男と結婚して、墓守をするだけの人生が待っていました。
こんな「夢壊し」の家庭って…まあ、珍しくはないのかな。
さて、進学した高校は、小中高一貫というだけあって、周りはほとんど良家の子女ばかり。
医者と教師の子ども、そしてお金持ちの家の子どもが多く、
さらに数学連続満点という天才までいて、もう入学した途端に「世界が違う」、私は劣等感の塊となりました。
暗黒の高校時代。
でも、出会いと挫折と転機はありました。
(続く)
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